二条院三河内侍
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(三河内侍から転送)
二条院三河内侍(にじょういんのみかわのないし 、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の女流歌人。伊賀入道寂念こと加賀守藤原為業の娘(為業の子範玄の娘とも)。三条実綱との間に七条院大納言、従五位下侍従三条公仲を産んでいる。女御家兵衛佐とも呼ばれた。歌人としては、単に三河内侍で二条院三河内侍を指す[* 1]。
経歴
[編集]二条天皇の典侍として出仕、後に後白河院の女御藤原琮子の女房となる[* 2]。実綱以外に左京大夫藤原定隆との間にも子をもうけている。『千載和歌集』以降の勅撰集、歌合等に作品を残している。俊恵を中心とする「歌林苑」にも参加していた[1]。
逸話
[編集]- 夭逝した二条院を惜しむ人々との歌の贈答が残されている。
二条院かくれさせたまひての比三河の内侍がもとより
— 『師光集』[2]
よとともにむかしをこふるなみだのみ つきせぬみとはしらずや有りけむ
かへし
みせばやなむかしこふらむなみだにも ものおもふ袖のまさるたもとを
五十日のはてつかたに
— 『山家集』[3]
二条院の御はかに御仏供養しける人にぐしてまゐりたりけるに
月あかくてあはれなりければ
こよひ君しでの山ぢの月をみて くものうへをやおもひいづらん
御あとにみかわの内侍候ひけるに九月十三夜人にかはりて
かくれにし君がみかげの恋しさに 月にむかひてねをやなくらん
返し 内侍
わがきみのひかりかくれし夕より やみにぞまよふ月はすめども
作品
[編集]歌集名 | 作者名表記 | 歌数 | 歌集名 | 作者名表記 | 歌数 | 歌集名 | 作者名表記 | 歌数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
千載和歌集 | 二条院内侍参河 一条院内侍参川 |
2 1 |
新古今和歌集 | 参河内侍 | 1 | 新勅撰和歌集 | ||
続後撰和歌集 | 続古今和歌集 | 続拾遺和歌集 | ||||||
新後撰和歌集 | 玉葉和歌集 | 参河内侍 二条院参河内侍 |
1 1 |
続千載和歌集 | ||||
続後拾遺和歌集 | 風雅和歌集 | 二条院参河内侍 参川内侍 |
2 1 |
新千載和歌集 | ||||
新拾遺和歌集 | 二条院参河内侍 | 1 | 新後拾遺和歌集 | 新続古今和歌集 | 二条院参河内侍 参河内侍 |
1 1 |
名称 | 時期 | 作者名表記 | 備考 |
---|---|---|---|
住吉社歌合 | 1170年(嘉応2年) | 女御家兵衛佐元二条院参河内侍 | 藤原修範と番い勝1負1持1 |
民部卿家歌合 | 1196年(建久6年)正月20日 | 二条院三河内侍 | 勝1負3持1 |
石清水若宮歌合 | 1200年(正治2年) | 二条院参河内侍 | 藤原隆房と番い勝1負1持3 |
- 私撰集等
名称 | 時期 | 作者名表記 | 備考 |
---|---|---|---|
続詞花和歌集 | 1165年(永万元年) | 三河内侍 参河 参河内侍 |
1 3[* 3] 1 |
言葉和歌集 | 1177年(治承元年)頃か | 参河内侍 | 4 |
- 家集は伝存しない。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 大谷文子 「勅撰集の女流歌人--二条院参河内侍」 『学苑』 (158),54-65 1954年1月 昭和女子大学近代文化研究所