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三浦勝利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 三浦 勝利 
Shori MIURA
基本情報
名前 三浦 勝利
生年月日 (1937-03-13) 1937年3月13日(87歳)
国籍 日本の旗 日本
経歴
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三浦 勝利(みうら しょうり、1937年3月13日 - )は、日本プロゴルファー

来歴

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1962年には小針春芳と共に来日したアメリカの女子プロ、キャシー・ウィットワースと千葉CC野田コースでプレーし、多くの女性ゴルファーに深い感銘を与え、日本では女子ゴルフの普及に拍車がかかった[1]

1967年日本オープンでは2日目にアイアンショットの切れで3アンダー69をマークし、首位の橘田規に4打差の2位に浮上した[2]

1970年関東プロでは今井昌雪河野高明佐々木勝と共に石井冨士夫の2位タイ[3]に入った。

1975年沖縄クラシックでは初日に小雨がぱらつき、10mを超す突風が吹き荒れる悪コンディションの中を中村寅吉と並んで70をマークし、小川清二の2位タイで続いた[4]。2日目には小池国夫鷹巣南雄と並んでの6位タイ[5] [6]に着けた。

1975年の全日空札幌オープンでは3日目に69をマークし、松井功金本章生上野忠美と並んでの10位タイ[7]に着けた。

1975年の全日本ミックスダブルスでは藤村政代とペアを組み、初日を今井昌雪&岡田美智子ペア・内田繁&諸星明美ペア・石井富男&鈴木美重子ペアに次ぐ4位[8]でスタートし、最終日には石井&鈴木・今井&岡田・杉本英世&辻和代ペア・村上隆&佐々木マサ子ペア・内田&諸星[9]に次ぐ6位[10]に入った。

1987年関東オープン[11]を最後にレギュラーツアーから引退し、シニア転向後の2000年には関東プログランドシニアで河野高と並んでの6位タイ[12]2006年には関東プロゴールドシニアで8位タイ[13]に入った。

脚注

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  1. ^ ゴルフ歴史館 日本女子ゴルフの普及のきっかけ-キャシー・ウィットワース”. www.golferweb.jp. 2024年7月1日閲覧。
  2. ^ 第32回日本オープンゴルフ選手権(1967年)”. www.golfdendou.jp. 2024年7月1日閲覧。
  3. ^ 男子トーナメント年度別一覧表(1926年~1972年)”. www.golfdendou.jp. 2024年7月1日閲覧。
  4. ^ 毎日新聞縮刷版p389 昭和50年1月17日朝刊15面「ゴルフ、南から幕あく 初日、小川69でトップ 沖縄クラシック
  5. ^ 毎日新聞縮刷版p413 昭和50年1月18日朝刊11面「上田、一挙トップ 沖縄ゴルフ
  6. ^ 朝日新聞縮刷版p463 昭和50年1月18日朝刊15面「上田がトップ 青木らは失格 沖縄クラシック・ゴルフ
  7. ^ 朝日新聞縮刷版p189 昭和50年7月6日朝刊15面「謝永浮上、村上2位に 尾崎も急追、逆転に望み 全日空オープン・ゴルフ
  8. ^ 毎日新聞縮刷版p241 昭和50年8月10日朝刊15面
  9. ^ 毎日新聞縮刷版p257 昭和50年8月11日朝刊11面
  10. ^ 朝日新聞縮刷版p294 昭和50年8月11日朝刊12面
  11. ^ 三浦 勝利選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年7月1日閲覧。
  12. ^ '00関東プログランドシニア選手権大会”. 2015年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月14日閲覧。
  13. ^ 関東プロゴルフゴールドシニア選手権大会”. 2015年3月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月14日閲覧。

外部リンク

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