三田了一
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人物情報 | |
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生誕 |
1892年12月19日 日本 山口県下関市 |
死没 | 1983年5月29日(90歳没) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 山口高等商業学校(現・山口大学経済学部) |
学問 | |
活動地域 |
関西学院大学 北九州大学 イスラミックセンタージャパン |
研究分野 |
宗教学 イスラム教 中国語 |
称号 | 日本ムスリム協会(JMA)2代目会長 |
主な業績 | ムスリムの手による初めてのクルアーン(コーラン)日本語訳を出版(1982年改訂版出版) |
主要な作品 | 『聖クルアーン―日亜対訳・注解』(改訂版) 日本ムスリム協会、1982年) |
学会 |
中国回教総連合会 日本ムスリム協会(JMA) |
脚注 ムスリム名はウマル。 |
三田 了一(みた りょういち、1892年12月19日 - 1983年5月29日)は、日本の昭和期に活動したムスリム(イスラム教徒)であり、指導者。宗教家。ムスリム名はウマル。山口県下関市の出身。イスラミックセンタージャパン元顧問。関西学院大学、北九州大学元中国語講師。
特筆すべき活動
[編集]1972年に、ムスリムの手による初めてのクルアーン(コーラン)日本語訳を出版(1982年改訂版出版)したことで知られる。この翻訳は、世界初の公認翻訳として承認されている[1]。
略歴
[編集]1892年、山口県下関市に生まれ、1916年、山口高等商業学校(現・山口大学経済学部)を卒業。その後、南満州鉄道に就職して中国大陸に渡り、現地のムスリムとの交流を経てイスラム教へ改宗する。1941年、中国回教総連合会の主席顧問となる。終戦後の1945年、終戦に伴い日本に帰国。1951年まで、関西学院大学や北九州大学の中国語講師として勤務。1957年、パキスタンに渡り、宗教家としての活動を開始。現地のイスラム教活動に関わる。1958年、ハッジ(巡礼)を行う。1960年、日本ムスリム協会(JMA)の初代会長であるサディーク・今泉の死去に伴い、2代目会長に就任[2]。1972年、ムスリムの手による初めてのクルアーン日本語訳を出版。1982年、改訂版出版。1983年、死去。
翻訳書
[編集]- 『聖クルアーン―日亜対訳・注解』(改訂版) 日本ムスリム協会、1982年
- 『サハーバ物語』 イスラミックセンタージャパン、1978年