三田川町
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(三田川村 (佐賀県)から転送)
みたがわちょう 三田川町 | |||||
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廃止日 | 2006年3月1日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 三田川町・東脊振村 → 吉野ヶ里町 | ||||
現在の自治体 | 吉野ヶ里町 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 佐賀県 | ||||
郡 | 神埼郡 | ||||
市町村コード | 41323-2 | ||||
面積 | 10.85 km2 | ||||
総人口 |
9,585人 (2004年10月1日) | ||||
隣接自治体 | 神埼町・東脊振村・千代田町・上峰町・みやき町 | ||||
町の木 | 桜 | ||||
町の花 | 桜 | ||||
三田川町役場 | |||||
所在地 |
〒842-8501 佐賀県神埼郡三田川町吉田321-2 | ||||
外部リンク | 三田川町 | ||||
座標 | 北緯33度19分16秒 東経130度23分56秒 / 北緯33.32114度 東経130.39875度座標: 北緯33度19分16秒 東経130度23分56秒 / 北緯33.32114度 東経130.39875度 | ||||
ウィキプロジェクト |
三田川町(みたがわちょう)は、佐賀県東部にあった町で、2006年3月1日、隣接する東脊振村と合併し吉野ヶ里町となった。
弥生時代の代表的な遺跡の1つとして有名な吉野ヶ里遺跡を有していた。
地理
[編集]佐賀県東部の筑紫平野(佐賀平野)内陸部に位置し、全体的に平地が多いが、町の北部に低い丘がある。
- 河川: 田手川、井柳川
隣接していた市町村
[編集]歴史
[編集]1986年に町域西部の吉野ヶ里丘陵の工場団地予定地から弥生時代の環濠集落遺跡が発見され、吉野ヶ里遺跡と呼ばれるようになった。この吉野ヶ里遺跡は一部報道機関により大々的に報道され、弥生時代に対する歴史観を一変させた。
「三田川」の由来は、町村制度施行により田手村・吉田村・豆田村・箱川村が合併した際、田手・吉田・豆田の三つの「田」と、箱川村の「川」をとり、「三田川」という名にしたものである。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、神埼郡田手村・吉田村・豆田村・箱川村が合併して三田川村が成立。
- 1965年(昭和40年)4月1日 - 町制施行し、三田川町となる。
- 2006年(平成18年)3月1日 - 東脊振村と合併し、吉野ヶ里町が発足。同日三田川町廃止。
産業
[編集]地域
[編集]教育
[編集]小中学校
[編集]- 三田川中学校
- 三田川小学校
国防
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]バス路線
[編集]一般路線バス
[編集]高速バス
[編集]道路
[編集]- 高速道路の最寄りインターチェンジは長崎自動車道東脊振インターチェンジ。
一般国道
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 国土地理院発行2万5千分の1地形図 久留米西部(北西)
- 三田川町(2006/02/14アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project