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三略

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三略』(さんりゃく)は、中国兵法書。「武経七書」のひとつ。『黄石公記』『黄石公三略』とも称される。

概要

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上略、中略、下略の3つで構成され、そのため「三略」という。太公望が書き、神仙黄石公が選録したとされる。しかし、内容には、の頃は戦車戦であるのに、まだ存在しないはずの騎馬戦の言及があったり、同様に使用されない「将軍」という言葉も用いられているため、後世の人物が太公望や黄石公に仮託して書いた偽書であるとも考えられている。

牽強付会の由来とその内容とは別物であり、古から価値の有るものと見なされ、数多の兵書の中から選び抜かれて、神宗によって「武経七書」に加えられている。書き手が同じ太公望ということで、通常、『六韜』と併称される。

なお、日本の戦国武将北条早雲は、「夫れ主将の法は、務めて英雄の心を攬り、有功を賞禄し、志を衆に通ず」という最初の一節を聞いただけで、それにて足れりと、学者の講義を中止させたと伝えられる[1]

成句「柔能く剛を制す」の出典である。名言として(後述書)、「智を使い、勇を使い、貪を使い、愚を使う」(智者・勇者はもちろん、貪欲者や愚者をも上手く使いこなす。指導者はどのような者でも使いこなす)がある[2]

本の構成

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  • 上略 - 人材を招く必要性や政治の要点などの記述。
  • 中略 - 策略の必要性や組織の統制術についての記述。
  • 下略 - 治国の要点や臣下の使い方などの記述。

脚注

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  1. ^ 『足利時代』の第四十一章第七節で著者の田中義成は、「(比較から大きな誤りが多い)『甲陽軍鑑』に見ゆるものなれば、必ずしも信ずべきものならざれど、この頃の武将はいずれも皆三略を読めり。(中略) かく当時の将士が一般に三略を読みしは、一つは兵法の典拠とし、一つは治国の法典として読みしものなれば、早雲の之を読みしも当然の事にて、事実と認めて可なるべし」と記述している。
  2. ^ 『名言・名句 新辞典』 樋口清介監修、旺文社 1990年 ISBN 4-01-077816-4 p.254.指導者の名言の項目。

注釈文献

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外部リンク

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