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三遊亭好の助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三遊亭かっ好から転送)
三遊亭さんゆうてい こうすけ
三遊亭(さんゆうてい) 好(こう)の助(すけ)
三ツ組橘は、圓楽一門の定紋である。ただし、好の助は師匠好楽の替紋である「八角持ちに片喰」と併用している。
本名 植木 啓太
生年月日 (1982-08-05) 1982年8月5日(42歳)
出身地 日本の旗 日本東京都墨田区
師匠 三遊亭好楽
名跡 1. 三遊亭かっ好
(2005年 - 2008年)
2. 三遊亭好の助
(2008年 - )
出囃子 軒端の松
活動期間 2005年 -
家族 ボナ植木(父)
所属 円楽一門会 → 五代目円楽一門会

三遊亭 好の助(さんゆうてい こうのすけ、1982年8月5日 - )は、五代目円楽一門会所属の落語家東京都墨田区出身。本名は植木 啓太(うえき けいた)。公益財団法人日本ゲートボール連合理事。

来歴・人物

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三遊亭好楽の三番弟子。武蔵大学経済学部経営学科卒業。講談師の神田伯山一龍斎貞鏡は大学の後輩[1]

ナポレオンズのボナ植木の実息。好楽の子息・三遊亭王楽からは、「ともに親に弟子入りせず、別のところに弟子入りしている親不孝者」と言い合っている(王楽は、親の好楽ではなく、好楽の師匠5代目三遊亭圓楽の弟子である。好楽からは「師匠・圓楽の落語のテープはよく聴いているが、親のあたしの落語は全く聞かない」とネタにされている)。

大学入学前に父親に「マジシャンになりたい」と言ったが「(手品)道具は貸さない。とりあえず大学に行け」と言われて断念。大学卒業後、数か月の社会人生活を経て好楽に入門。父親からは「辞めたら殺す」と言われた[2]

好楽曰く、好の助が真打昇進した暁には仕事が本当になくなる(笑点での好楽罵倒ネタは、「仕事ない」等がある)として、「七代目圓楽」を譲って欲しいと楽太郎に頼み込むなどネタにされている(この発言の当時、好の助が好楽門下の末弟子であった)。

父の相方であるパルト小石曰く、好の助が好楽に弟子入りしたこともあり、ナポレオンズが好楽一門会などで呼んでもらう機会が増え、仕事としては増えたものの、「(ボナ植木の)息子を人質に取られたようなもの」と形容されている。なお父曰く、家にいる時に電話がかかってこようものなら、親に荷物を持ってこさせるらしい。

2018年5月、真打へ昇進。昇進に伴い、師匠・好楽の前名である「林家九蔵」を3代目として襲名する予定で(好楽の許可で居住地の宮崎県限定で『林家九蔵』の名跡を使用していたアマチュア落語家、可愛家小たつを2代目として代数に数えたため)、大師匠・林家彦六の遺族や師匠の兄弟子の林家木久扇の了解も得ていたが[3]、3月に入り9代目林家正蔵とその母である海老名香葉子が「林家一門(落語協会)の名前を三遊亭一門(円楽一門会)の噺家が襲名することはいかがなものか」と異議を唱えたため、好楽の判断もあり九蔵の襲名を取りやめ、真打昇進後も現在の高座名である「好の助」を名乗ることとなった[4][5]

1982年生まれの、落語界五派の所属で一緒に落語会をしている「昭和57年会」(笑福亭べ瓶三遊亭志う歌、三遊亭好の助、立川小春志春風亭昇也)の一員。

略歴

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  • 2005年9月 - 三遊亭好楽に入門、「かっ好」。
  • 2008年10月 - 二つ目昇進、「好の助」。
  • 2014年 - 両国寄席大賞 年間MVP
  • 2014年 - 円楽一門会 ゲートボール部 部長 就任
  • 2015年 - 両国寄席大賞 最優秀賞受賞
  • 2018年5月 - 真打昇進。

脚注

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  1. ^ 若手3落語家・講談師座談会”. しらきじネット. 武蔵大学同窓会 (平成24-11-05). 2019年9月26日閲覧。
  2. ^ 岸川明広『春の新真打特集』東京かわら版5月号、2018年4月28日、14-15頁。 
  3. ^ 三遊亭から林家へ異例の改名 好楽の弟子・好の助が真打ち昇進で“林家九蔵”を名乗る理由は…? - スポーツ報知 2018年2月5日
  4. ^ 前代未聞の襲名取りやめ 好楽の弟子・好の助、九蔵襲名に林家正蔵が直前で“待った” - スポーツ報知 2018年3月3日
  5. ^ 三遊亭好楽の弟子・好の助「林家九蔵」襲名断念 正蔵が異議唱え - スポーツニッポン 2018年3月4日

関連項目

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外部リンク

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