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吉原馬雀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三遊亭ございますから転送)
吉原 馬雀よしわら ばじゃく
吉原 馬雀
吉原馬雀の定紋「裏梅」
本名 井上いのうえ 雄策ゆうさく
生年月日 (1982-07-22) 1982年7月22日(42歳)
出身地 日本の旗 日本宮崎県宮崎市瓜生野
師匠 四代目三遊亭圓歌
四代目吉原朝馬
名跡 1. 三遊亭ございます
(2010年 - 2014年)
2. 三遊亭天歌
(2014年 - 2022年)
(井上雄策)
(2022年 - 2023年)
3. 吉原馬雀
(2023年 - )
出囃子 コロブチカ
活動期間 2010年 -
活動内容 落語家
所属 落語協会
(2010年 - )
公式サイト 吉原馬雀

吉原 馬雀(よしわら ばじゃく、1982年7月22日 - )は、宮崎県出身の落語家[1][2]。本名:井上 雄策。紋は『裏梅』。出囃子は『コロブチカ[1]

来歴

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1982年7月22日宮崎県[3]宮崎市[1]瓜生野出身[2]日向学院中学校・高等学校を経て、明治学院大学法学部を卒業[2]。大学時代には、落語研究会に所属した[2]

大学卒業後社会人を経て、2009年12月に三遊亭歌之介(現 四代目三遊亭圓歌)に入門する[2]2010年7月、前座となる[1]。前座名は「ございます」。かつての兄弟子に「三遊亭ありがとう(現在は義太夫節三味線方の鶴澤卯太吉)」がいた[4][5]

2014年11月、柳家緑太柳家花飛と共に二ツ目に昇進し、三遊亭天歌と改名した[1]2016年4月より、宮崎市の「ふるさと先生」に任命される[1][2]

2022年2月下旬に師匠との間に破門をめぐるトラブルが起き、その対立関係の影響で落語家活動の休止に入る。同年10月、師匠の圓歌が正式に破門を認めたことで師弟関係が終了。演芸情報誌「東京かわら版」では「師弟関係のもつれにより一門を離れた」と報じられた[6]

「元・師匠」となった圓歌に対し、積年の被害についての民事訴訟に専念するため、活動休止の状態が続いていたが、本人は落語協会で落語家活動を続けるとしていた。また、当時は師匠が居ないことで襲名可能な名跡も無いため、次の師匠が決まるまでの暫定措置として本名を便宜上の活動名義とし、落語協会のホームページでも本名で紹介されていた。引き続き協会員としての身分は維持されていたものの、活動休止中であることや本名名義とすることが憚られるといった事情から、間もなく紹介欄自体が削除された[注釈 1]

2023年7月20日、三遊亭はらしょうのYouTube配信に出演し、四代目吉原朝馬[注釈 2]門下に再入門することを公表した[8]。高座名は新たな師匠の朝馬と朝馬の甥弟子[注釈 3]となる十一代目金原亭馬生とも相談し吉原馬雀ばじゃくとなった[9]。立場としては一度離れた落語業界の門を改めて叩く「再入門」の形ではあるが、二ツ目の身分が維持されている。同年9月1日より「吉原馬雀」名義で再び落語協会員としてプロフィールが掲載されている。なお香盤は枚数が若干落とされている。復帰前は柳家花飛と林家けい木の間に配されていたが、復帰後は林家なな子林家つる子の間に配されている。

2024年1月26日、東京地方裁判所で圓歌に対する損害賠償訴訟の判決で、杜下弘記裁判長は圓歌によるパワーハラスメントを認定し「暴行を伴う苛烈な叱責を加えており、社会的に許容される範囲を逸脱している」として、圓歌に対し馬雀へ80万円の支払いを命じた[10]。圓歌側は判決を不服として東京高等裁判所へ控訴したが、同年8月末に圓歌側が控訴を取り下げたため、一審判決が確定したことを9月11日に馬雀のYouTube配信で公表した[11]

2025年9月21日より、柳家やなぎ林家なな子入船亭遊京金原亭馬久と共に真打昇進予定[12][注釈 4]

三遊亭圓歌に対して

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上述の通り、元師匠である三遊亭圓歌とは深刻な確執がある。馬雀は幼い頃から圓歌の大ファンであり、圓歌の落語を聴いて育った。その「憧れの存在」であった三遊亭圓歌(当時、三遊亭歌之介)に入門するも、表面から視ることのできる落語家としての「三遊亭歌之介(圓歌)」と 、表面からは観ることのできない1人の人間としての「野間賢」の人格面が著しく懸け離れていることに失望している。そのため、自身が落語を好きになったことや、落語界に入るきっかけを与えてくれたことについては現在も感謝しているが、1人の人間としては酷く軽蔑しており、現在はファンでもなんでもなく、感謝・尊敬・信頼は一切していない旨を発言している。

芸歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ 落語協会の公式サイトに本名名義で記載・紹介されていた期間はほんの数日間であった。
  2. ^ 朝馬は、井上が同年6月に行われた落語協会総会において提出した「ハラスメント対策を求める議案書」の代表者に名を連ねていた[7]
  3. ^ 元は十代目金原亭馬生の門下で朝馬の弟弟子であったが、十代馬生の死去に伴い兄弟子の金原亭伯楽門下に移った。
  4. ^ 同時に二ツ目に昇進した柳家緑太と柳家花飛は同年3月21日の昇進を予定している[13]

出典

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  1. ^ a b c d e f 吉原 馬雀”. 落語協会公式. 2024年5月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 公式ホームページ”. 2018年10月30日閲覧。
  3. ^ 宮崎県出身の落語家・三遊亭天歌さん(日向経済新聞)”. 2018年10月30日閲覧。
  4. ^ 第458回 花形演芸会、満員御礼!”. 三遊亭天歌の奇妙な冒険. ameba blog (2017年7月22日). 2019年6月10日閲覧。 “歌舞伎義太夫 三味線方の鶴澤 卯太吉 (つるさわ うたきち)さんが楽屋にやってきてくださいましたー(略)ありがとう兄さんですー”
  5. ^ 【研修修了者インタビュー 鶴澤卯太吉(つるさわうたきち)(平成29年3月第22期竹本研修修了)※令和元年8月掲載”. 国立劇場. 独立行政法人 日本芸術文化振興会. 2022年10月31日閲覧。
  6. ^ 佐藤友美 編『東京かわら版 2022年12月号 一行情報』東京かわら版、2022年11月28日、109頁。 
  7. ^ 総会議案(本文) - 元・三遊亭天歌の奇妙な冒険(amebaブログ)2023年6月6日
  8. ^ 元・三遊亭天歌 [@yusaku3dayo] (2023年7月20日). "【おしらせ】". X(旧Twitter)より2023年7月20日閲覧
  9. ^ 元・三遊亭天歌 [@yusaku3dayo] (2023年7月21日). "たくさんのお祝いのメッセージありがとうございます。 新たな高座名については、はらしょう兄さんのチャンネルにてご案内させていただきました。". X(旧Twitter)より2023年7月21日閲覧
  10. ^ 四代目三遊亭円歌さんのパワハラ認定、すのこ板の上で弟子に正座強要…「暴行を伴う苛烈な叱責」 - 読売新聞 2024年1月26日
  11. ^ 吉原 馬雀(落語家)”. X (formerly Twitter). 2024-09-閲覧。
  12. ^ 令和7年 秋(9月下席より)真打昇進決定”. 一般社団法人落語協会 (2024年5月21日). 2024年5月21日閲覧。
  13. ^ 令和7年 春(3月下席より)真打昇進決定”. 一般社団法人落語協会 (2024年5月21日). 2024年5月22日閲覧。

外部リンク

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