金原亭馬生 (11代目)
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十一代目 Kingentei Basyô the 11th | |
2023年、杉友寄席にて | |
本名 | |
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生年月日 | 1947年9月28日(77歳) |
出身地 | 日本・東京都 |
師匠 | 十代目金原亭馬生 金原亭伯楽 |
弟子 | 金原亭馬治 金原亭小馬生 五代目桂三木助 金原亭馬久 金原亭小駒 金原亭馬太郎 金原亭馬吉 |
名跡 | 1. 金原亭小駒 (1969年 - 1978年) 2. 金原亭馬治 (1978年 - 1999年) 3. 十一代目金原亭馬生 (1999年 - ) |
出囃子 | 七福神 |
活動期間 | 1969年 - |
配偶者 | あり |
所属 | 落語協会 |
公式サイト | 公式ブログ |
受賞歴 | |
1986年∶日刊飛切努力賞 1987年∶スポニチ若手演芸大賞 1987年∶国立演芸場花形演芸大賞 2000年∶浅草芸能大賞奨励賞 | |
備考 | |
落語協会理事 (2014年 - ) | |
十一代目 金原亭 馬生(きんげんてい ばしょう、1947年9月28日 - )は、東京都中央区銀座出身の落語家。本名∶佐竹 守。落語協会所属。出囃子は『七福神』。
経歴
[編集]東京都中央区銀座木挽町に生まれる。本名は「佐竹 守」といい、祖先は佐竹氏である。東京都立第三商業高等学校卒業[1]。
1969年3月、十代目金原亭馬生に入門し小駒を名乗り、立川談吾と共に楽屋入り。同年9月に初高座、人形町末広にて演目は道灌。1978年3月、古今亭菊龍、夢月亭歌麿と共に二ツ目昇進し馬治に改名。1982年師匠馬生が死去。兄弟子金原亭伯楽門下へ移る。
1987年3月、古今亭菊龍、柳家〆治、古今亭志ん彌と共に真打昇進。1999年9月に十一代目金原亭馬生を襲名。2014年6月、落語協会理事に就任する[2]。
人物
[編集]『NHKラジオ深夜便』の「深夜便 落語百選」に解説役として出演中。
噺家の芝居である「鹿芝居」の継承者として、年一度国立演芸場で一座を率いて公演している。
芸歴
[編集]- 1969年3月 - 十代目金原亭馬生に入門、前座名「小駒」。
- 1978年 - 二ツ目昇進、「馬治」と改名。
- 1982年 - 師匠馬生が死去、兄弟子金原亭伯楽門下へ移籍。
- 1987年 - 真打昇進。
- 1999年 - 「十一代目金原亭馬生」を襲名。
演目
[編集]古典
[編集]廓噺
[編集]役職
[編集]出囃子
[編集]受賞歴
[編集]弟子
[編集]真打
[編集]二ツ目
[編集]出典
[編集]- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.540
- ^ 柳亭市馬 最年少52歳落語協会会長に 副会長に正蔵 スポーツニッポン 2014年6月26日閲覧