三遊亭圓丸
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三遊亭 圓丸(さんゆうてい えんまる)は、落語の名跡。当代は2代目(本人のオフィシャルHPのプロフィールやその他資料では3代目となっているが、落語芸術協会のHPでは2代目となっている)。
初代
[編集]初代 三遊亭 圓丸(生没年不詳・大正の末に没) - 盲目の三味線弾きの音曲師。
初代 | |
本名 | 安井 国太郎 |
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生年月日 | 不詳年 |
没年月日 | 不詳年 |
師匠 | 3代目三遊亭圓生 三遊亭圓朝 初代三遊亭小圓遊 初代三遊亭圓右 |
名跡 | 1.三遊亭遊三郎(不詳) 2.三遊亭圓丸(不詳) 3.春風亭柳丸(? - 1901年) 4.三遊亭小斎(1901年 - 1903年) 5.三遊亭右多助(1903年 - 1907年) 6.三遊亭圓丸(1907年 - ?) 7.三遊亭右多丸(不詳) |
活動内容 | 音曲 |
所属 | 三遊派 柳派 三遊派 |
経歴
[編集]- 明治10年代頃に3代目三遊亭圓生(「のしんの圓生」)の門下で遊三郎。
- 明治10年代後半に三遊亭圓朝の門下で三遊亭圓丸となる。
- 圓朝が引退したので明治30年代初めに柳派に移り春風亭柳丸に改名。
- 1901年頃に初代三遊亭小圓遊の門下で三遊亭小斎。
- 1903年頃に初代三遊亭圓右の門下で三遊亭右多助に改名。
- 1907年頃に圓丸に復名。
- 晩年の大正の初め頃に三遊亭右多丸となる。
人物
[編集]6代目三遊亭圓生によると「出来心」をよくやっていたという。その他にも圓生によると、圓朝の口演した「心眼」はこの人がモデルになって創作されたという。
2代目
[編集]二代目 | |
三遊亭圓丸定紋「高崎扇」 | |
本名 | |
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生年月日 | 1966年11月25日(58歳) |
出身地 | 日本 奈良県大和郡山市 |
師匠 | 三遊亭小遊三 |
名跡 | 1. 三遊亭いるか (1983年 - 1997年) 2. 二代目三遊亭圓丸 (1997年 - ) |
出囃子 | お兼晒し |
活動期間 | 1983年 - |
所属 | 落語芸術協会 |
公式サイト | 三遊亭圓丸の縁はいなもの味なもの |
二代目 三遊亭 圓丸(1966年11月25日 - )は落語芸術協会所属の落語家。本名∶河野 聖文。奈良県大和郡山市出身。出囃子は「お兼晒し」。
経歴
[編集]1983年6月、三遊亭小遊三に入門し小遊三の惣領弟子となる。前座名は「三遊亭いるか」。
1987年9月、二ツ目昇進。
1997年5月、三遊亭遊之介と共に真打昇進し「二代目三遊亭圓丸」を襲名。
芸歴
[編集]人物
[編集]WARや新東京プロレスのリング・アナウンサーも務めていた。
出典
[編集]- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X
- 古今東西噺家紳士録
外部リンク
[編集]- 三遊亭円丸 (@enmaru_3yutei) - X(旧Twitter)
- 三遊亭圓丸 - 落語芸術協会
- 三遊亭圓丸の縁はいなもの味なもの