三遊亭圓雀 (5代目)
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五代目 | |
三遊亭圓雀定紋「高崎扇」 | |
本名 | |
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生年月日 | 1949年3月22日 |
没年月日 | 2016年1月4日(66歳没) |
出身地 | 日本・東京都世田谷区 |
死没地 | 日本・鹿児島県 |
師匠 | 四代目三遊亭圓馬 |
名跡 | 1. 三遊亭はる馬 (1968年 - 1971年) 2. 三遊亭春馬 (1971年 - 1983年) 3. 五代目三遊亭圓雀 (1983年 - 2016年) |
出囃子 | 喜撰 |
活動期間 | 1968年 - 2016年 |
活動内容 | 落語家 |
配偶者 | あり |
所属 | 日本芸術協会 →落語芸術協会 |
五代目 三遊亭 圓雀(さんゆうてい えんじゃく、1949年3月22日 - 2016年1月4日)は落語芸術協会所属の落語家。本名∶柳本 修。出囃子は「喜撰」。
来歴
[編集]東京都世田谷区出身。都立烏山工業高校卒業後の1968年2月に四代目三遊亭圓馬に入門、前座名「はる馬」を名乗る。
1983年4月に四代目春雨や雷蔵、二代目柳亭小痴楽、古今亭寿輔、三笑亭夢之助、桂京丸、五代目春風亭柳條と共に真打昇進、「五代目三遊亭圓雀」を襲名。
2016年1月4日に脳梗塞のため鹿児島の病院で死去[1][2]。葬儀・告別式は近親者のみで執り行い、後日報道によりその死が公表された。同じく密葬を執り行った「上方落語四天王」の一人の三代目桂春団治の死去と発表が前後している。
人物
[編集]古典落語を専門とし、得意ネタは、唐茄子屋政談、紙入れ、妄馬、錦の袈裟など[3]。
落語芸術協会のデキシーバンド「にゅうおいらんず」ではクラリネットを担当した。メンバーの中で数少ない演奏経験者でもあるため、結成してから初めて演奏をはじめたメンバーと同じパートを担当したり、サポート演奏をすることもあった。また、曲によってはボーカルも兼ねた[1]。
趣味はワイン[3]。
芸歴
[編集]- 1968年2月 - 四代目三遊亭圓馬に入門、前座名「はる馬」。
- 1971年10月 - 二ツ目昇進、「春馬」と改名。
- 1983年4月 - 真打昇進、「五代目三遊亭圓雀」を襲名。
- 2016年1月 - 死去。66歳没[1][2]。
脚注
[編集]- ^ a b c “落語家の三遊亭円雀氏が死去”. 産経新聞. (2016年1月16日) 2016年1月16日閲覧。
- ^ a b “【訃報】 三遊亭円雀”. 落語芸術協会 (2016年1月15日). 2016年2月24日閲覧。
- ^ a b “三遊亭圓雀(落語芸術協会)”. 2016年1月17日閲覧。
出典
[編集]- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、ISBN 458212612X