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三野昌治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三野 昌治(みの しょうじ、1893年9月25日[1] - 1978年7月20日)は、日本の法学者弁護士裁判官教育者

経歴

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1893年(明治26年)、香川県に生まれる[1]。1919年京都帝国大学法学部卒業。東京地方裁判所東京控訴院判事秋田地方裁判所所長などを務めた後、1948年より弁護士として活動[1]東洋大学で博士号を取得後、同大学で教授となる。1967年に東洋大学学長に就任。学生運動の最中ということもあり、学生の強い反発を受ける中で教養課程の川越キャンパスへの移転、図書館、学生会館建設の問題収拾にあたった。1969年に学長を辞任した[2]

1978年7月20日、老衰のため東京都大田区の自宅にて死去。84歳[3]

著作

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  • 『物権法要義』(巌松堂 1943年)
  • 『法の適用』(東洋大学法学会 1957年)
  • 『民法総論』(文久書林 1967年)

脚注

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  1. ^ a b c 『大衆人事録 第25版 東日本編』帝国秘密探偵社、1966年、p.1061。
  2. ^ 東洋大学 歴代学長”. 東洋大学. 2021年6月6日閲覧。
  3. ^ 訃報欄 三野 昌治氏(みの・しょうじ=元東洋大学学長)『朝日新聞』1978年(昭和53年)7月18日朝刊、13版、7面