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三陸浜街道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三陸浜街道(さんりくはまかいどう)とは、宮城県仙台市青森県青森市を結ぶ、現在の国道45号に相当する区間の旧街道のうち、宮城県気仙沼市から三陸海岸を縦断し、青森県八戸市に至る街道。

概要

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浜街道(三陸浜街道)は、仙台藩盛岡藩八戸藩にまたがる脇街道の総称である。

宮城県気仙沼市から青森県八戸市までの全区間の景勝地が三陸復興国立公園に指定されており、地形的に岩手県宮古市の閉伊川を境に北は海岸段丘が発達し、南はリアス式海岸となっている。

仙台藩領

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「奥州仙台領中道程記」には相馬境から唐丹釜石市)境までを「浜道筋(はまみちすじ)」と記され、仙台城城下町北目町[† 1]から、気仙郡までの街道を「南部海道」「気仙道」などと称した[1]

仙台・南部両藩の境目は、気仙郡と閉伊郡の間に位置する石塚峠であり、峠の入口の仙台藩側には本郷御番所、南部藩側には平田御番所が設けられていた。

南部藩領

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寛永18年(1641年)、南部藩は街道の改修工事と四十二町を一里とする七里塚の建造を命じている[2]慶安2年(1649年)、「大道筋(奥州之内南部領海陸道規帳)[3][4]」において、「海辺道(うみべみち)」と呼ばれ、太平洋岸の海岸通りを経由していた。

  • 平田坂石塚境目 - 平田 - 釜石 - 大槌 - 山田 - 宮古 - 小本 - 普代 - 野田 - 大川目(現・久慈) - 種市 - 八戸 [† 2] - 百石 - 平沼 - 尾駮(おぶち) - 白糠 - 猿ヶ森 - 尻森 - 尻屋 - 大畑 - 大間 - 長後

盛岡藩領

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八戸藩分立が寛文4年(1664年)にあり、九戸郡野田村(盛岡藩領)と久慈(八戸藩領)が藩境となり、藩境には塚が築かれた。盛岡藩領の東海岸の「東浜街道」または「三閉伊通」(大槌通・宮古通・野田通)と呼ばれた、現在の釜石市からに久慈市かけて海岸線に沿い街道が整備されていた。宮古湊のあった鍬ヶ崎浦と代官所のある宮古村の二つの町は、閉伊川の河口に開け、陸中沿岸で獲れた海産物の移出や東北太平洋海運の要所として廻船問屋や海産物の仲買商人たちが軒を並べて賑わった。また、寛永年間には宮古街道(閉伊街道)も整備され、盛岡の外港として重要視された。

宿場・伝馬継所
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「封内貢賦記」天和年中(1681年1683年)による。すべて現在の岩手県

八戸藩領

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久慈から八戸城下への本道は山間の道である「久慈街道」を経由していた。この他に八戸城下へは、浜街道と称される2つの道があり、近世中期頃までの主要道としては、海辺道と呼ばれていた、種市中心部の南、鹿糠から山手の城内地区に入り、そこから八戸に至る「新井田街道(別称 浜街道)」があったが、九戸郡侍浜以北の海岸部には、盛岡藩北野牧[5]や八戸藩広野牧などの原野に放牧していた藩営牧場があり通行が制限されており、幕末期には、鉄・塩などの流通拡大や港湾利用の増加により、もう一つの海沿いの各集落を北上し、八戸城下にいたる「海岸通り」が主要道となっていった。また明治以降、新井田街道が国道へ編入され、海沿いの街道と並行して国鉄八戸線が敷設されたことにより、立場が逆転した。

三陸浜街道

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三陸浜街道と呼ばれるようになったのは明治時代に入ってからで[6]、明治14年の県記録に三等国道として、宮城県下気仙沼を経て岩手県に入り、三陸海岸を経過して青森県下に通ずる沿岸郡村の陸上交通線の総称で、現在の国道45号にほぼ合致している。

伝馬継所

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三等国道 浜街道(1881年(明治14年))[7]

  • 気仙
  • 氷上(陸前高田市)
  • 盛(大船渡市)
  • 吉浜(気仙郡三陸町)
  • 小白浜(釜石市唐丹町)
  • 釜石
  • 大槌(上閉伊郡大槌町)
  • 船越(下閉伊郡山田町)
  • 山田
  • 津軽石(宮古市)
  • 宮古
  • 田老
  • 小本(下閉伊郡岩泉町)
  • 田野原(下閉伊郡田野原村)
  • 普代(下閉伊郡普代村)
  • 宇部(久慈市)
  • 久慈
  • 種市(九戸郡洋野町)
  • 八戸

脚注

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注釈

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  1. ^ 仙台藩の一里塚の起点。
  2. ^ 八戸以北は北浜街道

出典

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  1. ^ 仙台市史Ⅰ
  2. ^ 小笠原文書
  3. ^ 青森県史 資料編 近世篇 4 南部1盛岡藩
  4. ^ 福井敏隆「<史料紹介>慶安二年八月五日成立の「大道筋(奥州之内南部領海陸道規帳)」(岩手県立図書館蔵)」『弘前大学國史研究』第78号、弘前大学國史研究会、1985年3月、41-61頁、CRID 1050282677526875904hdl:10129/2996ISSN 0287-4318 
  5. ^ イーハトーブ岩手 電子図書館 岩手の古地図 南部九牧之図
  6. ^ 「角川日本地名大辞典 3 岩手県」浜街道
  7. ^ (岩手県)岩手県史10 p.121

参考文献

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  • 青森県史編さん近世部会『青森県史 資料編 近世篇 4 南部1 盛岡藩』青森県、2003年3月3日。 
  • 青森県史編さん近世部会『青森県史 資料編 近世篇 5 南部2 八戸藩』青森県、2011年3月31日。 
  • 青森県史編さん民俗部会『青森県史 民俗編 資料 南部』青森県、2001年3月31日。 
  • 『岩手県史 第5巻 近世篇 2』岩手県、1963年1月20日。 
  • 『岩手県史 第10巻 近代篇 5』岩手県、1965年3月30日。 
  • 『仙台市史 通史編 3 近世Ⅰ』仙台市、2001年9月1日。 
  • 釜石市誌編纂委員会『釜石市誌 通史』釜石市、1977年3月10日。 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 2 青森県』角川書店、1985年12月1日。ISBN 4040010205 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 3 岩手県』角川書店、1985年3月8日。ISBN 4040010302 
  • (有)平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第2巻 青森県の地名』平凡社、1982年7月10日。ISBN 4-582-91021-1 
  • (有)平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第3巻 岩手県の地名』平凡社、1990年7月13日。ISBN 4-582-91022-X 
  • 木村 礎、藤野 保、村上 直『藩史大辞典 第1巻 北海道・東北編』雄山閣、2002年4月15日。ISBN 4-639-10033-7 
  • 渡辺信夫『東北の街道 道の文化史いまむかし』無明舎出版、1998年7月15日。ISBN 4-89544-188-1 
  • 瀧本壽史、名須川溢男『街道の日本史 5 三陸海岸と浜街道』吉川弘文館、2004年12月20日。ISBN 4-642-06205-X 

関連項目

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外部リンク

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