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上廣哲彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 うえひろ てつひこ

 上廣 哲彦
生誕   (1906-03-02) 1906年3月2日
 広島県山県郡豊平町(現:北広島町
死没   (1972-10-06) 1972年10月6日(66歳没)
 東京都
墓地  東京都杉並区永福築地本願寺和田堀廟所
記念碑  銅像・記念碑、石川県金沢市大乗寺丘、金沢実践倫理記念会館
国籍 日本の旗 日本
団体  実践倫理宏正会
肩書き 実践倫理宏正会創立者、初代会長
後任者 上廣榮治
栄誉 藍綬褒章
従四位勲三等旭日中綬章
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上廣 哲彦(うえひろ てつひこ、本名:上廣 三郎[1]1906年明治39年)3月2日 - 1972年昭和47年)10月6日)は、日本社会運動家実践倫理宏正会の創立者。栄典従四位勲三等旭日中綬章

生涯

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1906年3月、広島県山県郡豊平町(現:北広島町)に生まれる。

広島市で育ち、旧制中学卒業後、鉄工所や日本貯蓄銀行(現在のりそな銀行)などに勤務。1923年頃死線を彷徨う大病をし、その中から人生の目的と使命を悟る[2]

この後、人生の生き方についての哲学的な考察を深め、ひとのみち教団など様々な団体の遍歴をした。

1943年、三菱工作機械広島製作所(後の三菱重工業広島祇園工場)[3]に入社し、社員教育を行う訓育課勤務していた時の1945年8月6日、アメリカ軍の広島市への原子爆弾投下により、爆心地から1.6キロの国鉄横川駅構内で被爆した。

その後も放射能障害の持病を抱えながら人倫の道を説く。翌1946年5月3日広島の地で「実践倫理宏正会」の前身の生活倫理実践会「宏正会」を創設。

1946年9月18日、宏正会の中心的活動である朝起会石川県小松天満宮で開始。以後、東京・大阪など全国各地で朝起会が開催される。

1948年4月1日、文部省より社会教育団体として公益法人としての「社団法人(当時)」の許可を受ける。それに伴い同年5月、会名を「社団法人実践倫理宏正会」に改称[4][5]

1965年11月、文部省より社会倫理啓蒙の実績から藍綬褒章を受章する[6]

原爆症との闘いの中で倫理普及活動を続け、1972年10月6日に逝去するまで倫理道徳普及に生涯を捧げた。死亡追叙で、従四位勲三等旭日中綬章を受章。

同年10月10日東京都千代田区日本武道館で、「上廣哲彦を偲ぶ会」が社団法人実践倫理宏正会によって挙行された[7]

著書

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発刊:実践倫理宏正会出版部

  • 『明るい生活』1954年10月 全国書誌番号:60006161
  • 『わが子に与う』1955年1月 全国書誌番号:60006165
    • 1968年9月増補改訂版発刊
  • 『生きる力』1955年12月 全国書誌番号:60006162
  • 『実践倫理の第一歩』1957年5月 全国書誌番号:60006163
  • 『成就の法則』1958年1月 全国書誌番号:60006166
  • 『正しい生活』1960年2月 全国書誌番号:60006164
  • 『実践の生命』1963年1月
  • 『希望と人生』1965年11月
  • 『実践一路』1966年12月 全国書誌番号:93042977
  • 『倫理常識講座(上巻・下巻)』1967年3月 全国書誌番号:85030961
  • 『親子の学校:教育倫話集 1』1971年9月
  • 『教育に生きる - 教師のいきがい:教育倫話集 2』1971年12月

教育倫話集 1と2以外は、1978年に文庫形態で改訂新版が発刊されている。なお、文庫化に際し『わが子に与う』と『実践倫理の第一歩』は合本されて発刊された。『倫理常識講座(上巻・下巻)』も上下巻が一つに合本されて発刊された。

脚注

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  1. ^ 倫理研究所
  2. ^ 『生きる力』実践倫理宏正会出版部 1959年
  3. ^ 三菱重工業広島祇園工場はその後、三菱重工業広島精機製作所となり、その後生産集約のため2003年9月末で閉鎖となり、その跡地は現在のイオンモール広島祇園になっている。
  4. ^ 沼田健哉 1978.
  5. ^ 民法法人は、2008年(平成20年)12月1日以降新制度となり、「一般社団法人実践倫理宏正会」と「公益財団法人上廣倫理財団」の2団体体制に移行している。
  6. ^ 一般社団法人 実践倫理宏正会 - プロフィール
  7. ^ 日本武道館1972年10月10日に予定されていた実践倫理宏正会の大講演会が、上廣哲彦の死去により急遽「上廣哲彦を偲ぶ会」への変更になった。

参考文献

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先代
-
実践倫理宏正会
初代会長
1946年 - 1972年
次代
上廣榮治