上月景正
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上月 景正(こうづき かげまさ、1940年11月12日(84歳) - )は、日本の実業家。コナミグループの創業者で代表取締役会長を務める[1]。
人物
[編集]京都府出身。1966年関西大学経済学部卒業。1969年コナミ工業創業。1973年コナミ工業株式会社(現コナミグループ株式会社)設立。1996年コンピュータエンターテインメント協会(CESA)設立、初代会長就任(現:名誉会長)。2002年日本経済団体連合会理事就任。2012年コナミ株式会社(現コナミグループ株式会社)代表取締役会長就任。
1982年には個人資産を拠出した財団法人上月教育財団(現上月財団)を設立し、同財団の理事長を務める[2]。以来40年以上にわたりスポーツ・教育・文化の振興と発展に寄与する活動に取り組んでいる[3]。
経歴
[編集]- 1959年3月 - 大阪電気通信大学高等学校を卒業[4]
- 1966年3月 - 関西大学経済学部を卒業[5]
- 1969年3月 - 大阪府豊中市にてコナミを創業[6]
- 1973年3月 - コナミ工業株式会社(現コナミグループ株式会社)を設立、アミューズメント機器の製造を開始[6]
- 1982年6月 - 個人資産を拠出して財団法人上月教育財団(兵庫県許可)を設立。理事長に就任[7]
- 1984年10月 - 業界で初めて上場会社にする(大阪証券取引所新二部上場)
- 1988年8月 - 東京証券取引所第一部上場を果たす
- 1992年 - 大阪電気通信大学理事[8]
- 1996年8月 - コンピュータエンターテインメント協会(CESA)を設立し初代会長に就任(現:名誉会長)[5]
- 1997年 - 大阪電気通信大学客員教授[8]
- 1999年9月 - ロンドン証券取引所上場を果たす[9]
- 2001年 - 大阪電気通信大学にコナミホールを寄贈[4]
- 2002年5月 - 日本経済団体連合会 理事就任[5]
- 2002年9月 - ニューヨーク証券取引所上場を果たす[10]
- 2005年3月 - 設立した公益法人3財団を、一般財団法人 上月財団(文部科学省許可)として統合[11]
- 2012年6月 - 同社代表取締役会長[5]
受賞
[編集]- 1992年8月 - 紺綬褒章受章[5]
- 1993年10月 - 通商産業大臣表彰(情報化促進貢献個人表彰)[5]
- 1996年5月 - 兵庫県文化功労者[5]
- 1998年3月 - 学校法人大阪電気通信大学 名誉博士号[5]
- 2006年11月 - 藍綬褒章受章[5]
- 2011年1月 - 紺綬褒章受章[5]
- 2011年3月 - ネバダ大学ラスベガス校 名誉博士号[5]
- 2011年11月 - 旭日中綬章受章[5]
- 2013年3月 - ヴィクトリア女王記念褒章受章[12]
- 2022年5月 - ミシシッピ州ゲーミング殿堂入り[13]
脚注
[編集]- ^ “コナミグループ株式会社 取締役・監査役プロフィール”. 2020年5月22日閲覧。
- ^ “上月財団 組織と役員”. 2020年5月22日閲覧。
- ^ “上月景正に関するプレスリリース・ニュースリリースのPR TIMES”. 2024年9月22日閲覧。
- ^ a b 1億円寄贈に感謝状が贈呈される大阪電気通信大学同窓会 2001年11月18日
- ^ a b c d e f g h i j k l 上月財団 30周年記念誌サイト 財団の概要 理事長プロフィール. 2020年5月22日閲覧。
- ^ a b コナミグループ株式会社 会社沿革. 2020年5月22日閲覧。
- ^ “上月財団 30周年記念誌サイト 歴史編 第1章”. 2020年5月22日閲覧。
- ^ a b 1998年5月15日号ゲームマシン
- ^ “London Stock Exchange Listing/Admission to trading”. 2013年11月27日閲覧。
- ^ “NEW YORK STOCK EXCHANGE Listing date”. 2013年11月27日閲覧。
- ^ “上月財団 30周年記念誌サイト 歴史編 第5章”. 2020年5月22日閲覧。
- ^ “GameBusiness.jp”. 2020年5月22日閲覧。
- ^ “コナミHDの上月氏、アジア人初の殿堂入り ゲーミング業界への貢献で”. 共同通信. 2022年5月31日閲覧。
関連項目
[編集]ビジネス | ||
---|---|---|
先代 (設立) |
コナミグループ会長 2022年 - |
次代 (現職) |
その他の役職 | ||
先代 (設立) |
上月財団理事長 2003年 - |
次代 (現職) |
先代 (設立) |
コンピュータエンターテインメント協会会長 1996年 - 2002年 |
次代 辻本憲三 |