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上杉顕定 (扇谷上杉家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
上杉顕定
時代 南北朝時代
生誕 正平6年/観応2年(1351年
死没 天授6年/康暦2年(1380年
別名 定成
官位 伊予守式部大夫
主君 足利氏満
氏族 扇谷上杉家
父母 父:上杉藤成、養父:上杉朝定
兄弟 顕定頼顕
養兄弟:朝顕
朝房?・朝宗?(上杉憲藤子)
養子:氏定(上杉頼顕子)
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上杉 顕定(うえすぎ あきさだ)は、南北朝時代武士扇谷上杉家初代当主。

略歴

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正平6年/観応2年(1351年)、上杉藤成の子として誕生。二橋上杉家の上杉朝定の養子となった。

養父・朝定は丹波国守護だったが、貞治年間頃(1360年代)に顕定は関東に下向して2代鎌倉公方足利氏満に仕え、鎌倉扇谷の地に居住し、扇谷上杉家の祖となった。二橋上杉氏は顕定の義弟で朝定の実子・朝顕が継承して八条上杉家となった。

天授6年/康暦2年(1380年)、死去。享年30。甥・氏定が跡を継いだ。