上村源之丞
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上村 源之丞(うえむら げんのじょう)は、江戸時代前期から昭和初期にかけて存在した人形師。15代まで続いた。
歴代
[編集]初代
[編集]上村 源之丞(うえむら げんのじょう、生年不詳 - 天正19年(1591年))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した人形師。
西宮の人形遣い百太夫が淡路島の引田家の娘と結婚し、その間に生まれた子とされている。その後、淡路国三条村(現在の兵庫県淡路島)の淡路人形芝居の家元を務めた。以後、引田家の当主は代々上村源之丞を名乗った。
三代目
[編集]慶安4年(1651年)に阿波国の2代徳島藩主・蜂須賀忠英より上村日向掾の称号を許された。
十五代目
[編集]明治末頃に源之丞座の拠点を徳島県徳島市に移した人物。しかし、1945年(昭和20年)7月4日の徳島大空襲で稲荷座は道具類一式とともに焼失、人形芝居の代名詞であった源之丞座は滅んだ。
登場作品
[編集]- テレビドラマ