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上波佐見町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かみはさみまち
上波佐見町
廃止日 1956年6月1日
廃止理由 新設合併
上波佐見町下波佐見村波佐見町
現在の自治体 波佐見町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
東彼杵郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 10,525
国勢調査、1955年)
隣接自治体 長崎県佐世保市、東彼杵郡川棚町下波佐見村
佐賀県武雄市杵島郡山内村藤津郡嬉野町西松浦郡有田町
上波佐見町役場
所在地 長崎県東彼杵郡上波佐見町折敷瀬郷字西舞相1675番地
座標 北緯33度08分17秒 東経129度54分03秒 / 北緯33.13803度 東経129.90081度 / 33.13803; 129.90081座標: 北緯33度08分17秒 東経129度54分03秒 / 北緯33.13803度 東経129.90081度 / 33.13803; 129.90081
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上波佐見町(かみはさみまち)は、長崎県東彼杵郡北部の内陸部にあった町。1956年(昭和31年)に南西隣[1]下波佐見村と合併し、波佐見町となった。

現在の波佐見町の北東部にあたる。

地理

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  • 山:幕の頭(原明岳)、一の宮、田別当、陣の辻(神六山)
  • 河川:川棚川、村木川、野々川川
  • 溜池:根比池、猪狩池、大堤

沿革

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江戸期は下波佐見村とあわせて波佐見村と称された。村域が広大なため、川棚川の上手を上波佐見、下手を下波佐見の2村に分けたとされる。この分村は旧大村藩領内に限ったものであったが、明治3年12月の藩制改革により正式に分村された[2]

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、東彼杵郡上波佐見村が単独村制にて発足。
  • 1899年(明治32年) - 村役場を宿郷から折敷瀬郷へ移転。
  • 1934年(昭和9年)11月3日 - 上波佐見村が町制施行。上波佐見町となる[3]
  • 1956年(昭和31年)6月1日 - 下波佐見村と合併して波佐見町が発足し、上波佐見町は自治体として消滅。

地名

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を行政区域とする。上波佐見町は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。(発足当時は上波佐見村)

  • 井石郷
  • 鬼木郷
  • 折敷瀬郷
  • 金屋郷[4]
  • 小樽郷(こだる)
  • 宿郷(しゅく)
  • 中尾郷
  • 永尾郷
  • 野々川郷
  • 三股郷(みつのまた、みつまた)[5]
  • 村木郷
  • 湯無田郷[6]

産業

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農業や江戸期より続く窯業のほか、金鉱採掘も行われた。湯無田・井石・中尾・小樽の各郷に鉱脈が広がる波佐見金山は、江戸期から第2次世界大戦中まで採掘が行われ、特に1897年(明治30年)から1914年(大正3年)までの最盛期には金321.81kg、銀464.692kgを産出した[7]

名所・旧跡

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  • 波佐見焼古窯群
  • 三領石[8]
  • 内海城址(湯無田郷)

脚注

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  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1955年4月15日
  2. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「波佐見村(近世)」
  3. ^ 長崎縣告示第九百號『村を町と成すの件』長崎県公報 昭和9年10月23日付
  4. ^ 江戸期は「金谷」と表記した。
  5. ^ 江戸期は「三ツ股」とも表記した。
  6. ^ 江戸期は「湯牟田」とも表記した。
  7. ^ 角川日本地名大辞典42 長崎県「波佐見金山」
  8. ^ 村木郷に所在。1742年(寛保2年)に建てられた三角柱の碑。南面に大村領彼杵郡波佐見、東北面に佐賀領松浦郡有田(現在の佐賀県有田町)、西北面に平戸領彼杵郡早岐(現在の佐世保市早岐地域)の方向を示す文字が刻まれている。

参考文献

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関連項目

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