上田昌雄
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上田 昌雄(うえだ まさお、1897年(明治30年)12月6日[1][2] - 1993年(平成5年)8月31日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]徳島県出身[1][2][3]。裁判官書記・上田慶蔵の息子として生まれる[1]。大阪陸軍地方幼年学校、陸軍中央幼年学校を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第62連隊付となる[1][4]。1920年(大正9年)7月から1921年(大正10年)11月までシベリア出兵に出征した[1]。1927年(昭和2年)12月、陸軍大学校(39期)を卒業し歩兵第44連隊中隊長に就任した[1][2][3]。
1928年(昭和3年)12月、参謀本部付勤務となる[1]。以後、参謀本部員、満州里特務機関長、参謀本部員、参謀本部付(イラン駐在)、関東軍参謀、ポーランド公使館付武官などを経て、1940年(昭和15年)3月、歩兵大佐に昇進し陸軍省兵務局付(後方勤務要員養成所所長を経て陸軍中野学校幹事)となる[1][2][3][5]。1941年(昭和16年)10月、兵務局防衛課長に転じ、1944年(昭和19年)3月、陸軍少将に昇進[1][2][3]。兵務局付(調査部長)を経て、1945年(昭和20年)7月、大本営陸軍報道部長に就任し終戦を迎えた[1][2][3]。同年11月、予備役に編入された[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。