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下工弁慶号

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
下工弁慶号
大鉄道博覧会(江戸東京博物館)開催:2007年7-9月
大鉄道博覧会(江戸東京博物館)開催:2007年7-9月
基本情報
製造所 東京石川島造船所
製造年 1907年(明治40年)
愛称 下松べんけい号
主要諸元
軌間 762 mm
全長 4,050 mm
高さ 2,400 mm
機関車重量 5.5 t
動輪径 584 mm
シリンダ数 単式2気筒
シリンダ
(直径×行程)
158 mm × ?
弁装置 スチーブンソン式
小煙管
(直径×長さ×数)
38.1mm×?mm×32本
全伝熱面積 8.0 m2?
燃料 石炭
燃料搭載量 1.0 t
制動装置 蒸気ブレーキ
出力 約80 HP?
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下工弁慶号(くだこうべんけいごう)は、山口県下松市で保存されている軽便鉄道蒸気機関車通称である。軌間は762mmで、車軸配置は0-4-0(ホワイト式)で2軸の動輪のみの飽和式タンク機関車。水槽がボイラーの上に鞍状に設置されたサドルタンクと呼ばれる、日本では珍しい形態である。

1907年(明治40年)に東京石川島造船所(現在のIHI)で製造された軽便鉄道用5.5t蒸気機関車[1]と推定される。

経緯は不明であるが、本機は海軍専用線で運行され、1934年(昭和9年)に運行を退き、教材として下松工業学校(現在の山口県立下松工業高等学校)に払い下げられた。それから47年後に動態復元がなされ、運行と休止が繰り返された。2007年(平成19年)以降は、運行は行われていない。

車歴

[編集]
  • 1907年明治40年) : 東京石川島造船所で製造。海軍徳山練炭製造所内での荷役に使用。
  • 1934年昭和9年) : 下松工業学校に原動機実習教材用として払い下げられる。
  • 1951年(昭和26年) : 同校正門脇に展示される。
  • 1979年(昭和54年)1月 : 同校職員及び生徒による復元作業を開始。
  • 1981年(昭和56年)10月9日・10日 : 同校60周年記念式典にて校庭で公開運転を実施[2]。その後日本国内各地で公開走行・展示が行われる。
  • 1988年(昭和63年)3月12日 : 下津井電鉄に貸与され、客車2両を牽引して下津井駅構内で運転される[2]
  • 1991年平成3年)
    • 4月1日 : 所有権が下松工業高校から下松工業会(同窓会)へ移管される。
    • 9月 : 1月1日に下津井電鉄が廃止されたため、下松に返却される[2]
    • 10月15日 : 下松工業高校創立70周年記念として校庭で運転される[2]
  • 1992年(平成4年)3月16日 : 柳井卸売団地(柳井卸センター)の敷設線路で、下津井時代と同じ客車を牽引した運転を開始[2]。4 - 10月の第2日曜日を運転日としていた[2]
  • 1996年(平成8年) : 卸売団地の敷地に道路計画があることなどを理由に、運転を終了。10月に日立製作所笠戸工場で走った後、下松市に寄贈され、下松市役所前の展示格納庫に搬入された[3]
  • 1997年(平成9年) : ボイラーの故障により運行不可能となる[3]
  • 2004年(平成16年) : 3年間の期限で三岐鉄道北勢線阿下喜駅前に移設[4]
  • 2006年(平成18年)3月 : 前年から取り組まれてきた動態復元が完了し、復活運転[4]
  • 2007年(平成19年)
    • 4月 : 下松市に戻る[4]
    • 7月10日 - 9月9日 : 「大鉄道博覧会」(江戸東京博物館)で展示。
  • 2008年(平成20年)1月18日:老朽化や具体的な運転計画がないことを理由に、下松市がこの日で期限切れとなる労働安全衛生法に基づくボイラー及び圧力容器安全規則に定められたボイラーの更新検査を見送ったため、法的に走行不能となり、「当面」の間静態保存へ移行[5]

2014年(平成26年)1月現在、下松市役所グリーンプラザ展示格納庫 展示 されている。

参考文献

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  • 白川淳『全国保存鉄道』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、1993年

参考外部リンク

[編集]

脚注

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  1. ^ 『石川島重工業 108年史』昭和36年、306-308頁
  2. ^ a b c d e f 白川、1993年、p.89
  3. ^ a b 下工弁慶号を市に寄贈 - 一般社団法人下松工業会
  4. ^ a b c 北勢線で動態復元した「下工弁慶号」 - 一般社団法人下松工業会
  5. ^ 最新情報 - 一般社団法人下松工業会