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下河原村 (鳥取県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

下河原村[1](しもがわらむら)は、伯耆国会見郡(のち鳥取県会見郡)にかつて存在した村である。旧鳥取藩[2]

地理

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東の福万村へ3[1]。南の押口村へ5町[1]。西の遠藤村へ2町[1]。北の尾高村へ15町[1]

歴史

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  • もとは福万村枝郷である[2]
  • 享和3年 - 新田として幕府に届出される[2]
  • 1870年(明治3年) - 領内限りで分村する[2]。明治初年福万村に合併する[2]

経済

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村高は『伯耆志』によると220石余[1]。『元治郷村帳』によると229石余[2]

人口

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『伯耆志』によると家18戸、人82口[1]

地域

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社倉、小4、辻堂1がある[1]。下河原神社がある。産土神は尾高村にある大神山神社[1]。米子市日下の瑞仙寺蔵『会見郡久坂山瑞仙寺年中筆記』(寛政四年)の正月の記事に「一 下河原村鉢屋来る。黒米壱升・小餅三ツ、外ニ袋持エ弐合程遣ス。」「一 下河原村穢多エ黒米壱升、外ニ袋持エ少シ遣ス。」[3]とあり、下河原村に鉢屋、穢多などの賤民が存在していたことを確認できる。

黒坂の緒形仁平の開墾によって出来た田地がある[4]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『伯耆志 巻一』5 - 6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年6月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』398頁。
  3. ^ 『鳥取県史 第8巻 近世資料』793頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年11月12日閲覧。
  4. ^ 『日野郡史 中篇 2』1920頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年12月11日閲覧。

参考文献

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  • 景山粛『伯耆志 巻一』因伯叢書発行所、1916年。
  • 日野郡自治協会編『日野郡史 中篇 2』名著出版、1972年。
  • 鳥取県編『鳥取県史 第8巻 近世資料』鳥取県、1977年。
  • 角川日本地名大辞典 31 鳥取県』角川書店、1982年。

関連項目

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