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下田宣力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
下田 宣力
しもだ のぶお
生誕 1891年7月21日
日本の旗 日本宮城県
死没 (1943-01-26) 1943年1月26日(51歳没)
タイ・ミャンマー国境付近
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1912 - 1943
最終階級 陸軍中将
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下田 宣力(しもだ のぶお、1891年明治24年)7月21日[1] - 1943年昭和18年)1月26日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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宮城県出身。1912年(明治45年)5月28日に陸軍士官学校(24期)を卒業し、大正元年12月24日に工兵少尉に任ぜられ、工兵第四大隊付となる[2]1915年(大正4年)12月8日に陸軍砲工学校(21期)高等科を卒業[3]し、更に員外学生として在学。1916年(大正5年)4月20日に工兵中尉に昇進[4]し、1919年(大正8年)7月10日には東京帝国大学工学部機械工学科を卒業[5]した。

1921年(大正10年)4月20日に工兵大尉に昇進[6]1928年(昭和3年)3月24日工兵少佐に昇進[7]後、鉄道第二連隊材料廠長等を経て、1932年(昭和7年)8月8日工兵中佐に昇進[8]。更に、陸軍砲工学校教官等を経て、1936年(昭和11年)8月1日に工兵大佐に昇進し陸地測量部三角科長に就任[9]

その後、鉄道第三連隊長を経て、1939年(昭和14年)3月9日に陸軍少将に昇進[10]し陸軍砲工学校工兵科長に就任。更に1940年(昭和15年)には陸地測量部長[11]、第二鉄道監を歴任した。

1943年1月から工事に着手して間もない泰緬鉄道の建設責任者に任命され、ルート確定の目的で航空測量を実施するため搭乗した航空機がエンジン不調のためにタイミャンマー国境付近の山中に墜落、同月26日に死亡した。殉職であるが[1]戦死扱いとなり[12]、没後陸軍中将に進級し正四位に叙せられた[12]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c 『日本陸軍将官辞典』378頁。
  2. ^ 『官報』第122号、大正元年12月25日。
  3. ^ 『官報』第1010号、大正4年12月13日。
  4. ^ 『官報』第1114号、大正5年4月21日。
  5. ^ 『官報』第2088号、大正8年7月21日。
  6. ^ 『官報』第2614号、大正10年4月21日。
  7. ^ 『官報』第370号、昭和3年3月26日。
  8. ^ 『官報』第1683号、昭和7年8月9日。
  9. ^ 『官報』第2876号、昭和11年8月3日。
  10. ^ 『官報』第3772号、昭和14年8月2日。
  11. ^ 梅津美治郎、山田乙三が大将に進級『東京日日新聞』(昭和15年8月2日夕刊)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p781 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  12. ^ a b 故陸軍中将下田宣力位階追陞の件(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A12090263500 
  13. ^ 『官報』第167号、大正2年2月21日。
  14. ^ 『官報』第1158号、大正5年6月12日。
  15. ^ 『官報』第2681号、大正10年7月8日。
  16. ^ 『官報』第2648号、大正10年5月31日。
  17. ^ 『官報』第4031号、大正15年2月3日。
  18. ^ 『官報』第4149号、大正15年6月23日。
  19. ^ 『官報』第1393号、昭和6年8月20日。
  20. ^ 『官報』第1512号、昭和7年1月18日。
  21. ^ 『官報』第2888号、昭和11年8月17日。
  22. ^ 『官報』第3310号、昭和13年1月18日。
  23. ^ 『官報』第3858号、昭和14年11月14日。
  24. ^ 『官報』第4438号付録、昭和16年10月23日。
  25. ^ 『官報』第4326号、昭和16年6月11日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
軍職
先代
中島三栖雄
陸地測量部
第16代:1940年8月1日 - 1942年4月15日
次代
小倉尚