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世平王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

世平王(よひらおう)は、室町時代皇族邦恒王王子[1][2]木寺宮を継ぎ、木寺宮世平王となる。その後、息子の邦康親王が木寺宮を継承した。

木寺宮は大覚寺統後二条天皇を先祖に持っており、南北朝時代及び室町時代にかけての世襲親王家という扱いになる。世襲親王家ではありながら、後南朝勢力であるので、世平王は親王宣下も受けられず、王として当主になった。

なお、応永26年(1419年)10月に子の承道(永助法親王附弟)が、12月には同じく明仁(堯仁法親王附弟)が、共に後小松天皇の猶子として親王宣下を受けている。これについて満済は批判的に記しつつも門跡になる貴種が不足しているから認めざるを得なかったのだと記している(『満済准后日記正長2年6月27日条)[3]

系譜

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脚注

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  1. ^ 菊池大樹「宗尊親王の王孫と大覚寺の諸段階」
  2. ^ 禁闕の変 コトバンク
  3. ^ 松薗斉『王朝時代の実像15 中世の王家と宮家』(臨川書店、2023年) ISBN 978-4-653-04715-5 P202-203.