世界を揺るがした10日間
『世界を揺るがした10日間』(せかいをゆるがしたとおかかん、Ten Days That Shook the World)[note 1]は、1917年のロシア十月革命についてアメリカ合衆国のジャーナリストで社会主義者のジョン・リードが執筆したルポルタージュ作品。リードは十月革命を直接経験した。リードはロシアにいる間に多くの著名なボリシェヴィキの指導者を取材した。ジョン・リードはこの本を出版してすぐの1920年に死去し、社会主義革命の英雄としてモスクワのクレムリンの壁に埋葬されている。
概要
[編集]リードはロシア革命を取材する間、社会主義者の雑誌である『マッセス』の編集を担当していた。リードは真実を書き留める誠実な記者としてロシア革命を目撃したいと述べていたにもかかわらず[1]、この本の序文にて「私の同情心は決して中立的なものではなかった」と述べている[1](そのためこの本はボリシェヴィキの観点に傾倒したものとなっている)。
リードがロシアに向けて出発する前、1917年のスパイ活動法が6月15日に可決された。スパイ活動法は兵士の募集を妨げる者は無条件に投獄でき、反戦感情を助長するような新聞や雑誌を郵送することを禁じる法律であった。アメリカ合衆国郵便公社はこの法律を満たさない郵便物は配送を拒否する権利が与えられ、基準を満たさない雑誌は郵送することができなかったので、公的な出版物と見なされなくなった[2]。このため、『マッセス』は1917年の秋にアメリカ合衆国連邦政府による出版の差し止めを余儀なくされた。1917年秋は第一次世界大戦を背景とした雑誌政策の変更が拒絶された後であった。『解放者』はマックス・イーストマンと姉妹の個人の運営によって創設されたが、『解放者』はリードのロシア革命に関する記事を載せていた。このような雑誌の存続のための努力の中で、イーストマンは自身の見解について徐々に妥協するようになった[3]。
ロシアを発って1918年の4月にノルウェーのクリスチャニア(現・オスロ)から帰途につく中、2月23日以来アメリカ合衆国国務省によってアメリカに旅立つことかロシアに戻ることのどちらかを禁止された。リードのトランクの中の革命に関する記事やノート(ビラ、新聞や演説も含む)は税関の職員によって取り上げられた。税関の職員はリードが過去8か月の間にロシアでどのような活動を行っていたのか4時間ほど尋問した。マイク・ゴールドはリードがマンハッタンに到着したことを目撃しており、「法務省の職員の群れが彼から服や荷物を剥ぎ取り、彼を激しく尋問していた。リードは船の中で食中毒になっていた。この尋問は苦痛なものであった」[4]と振り返っている。1918年の真夏に自宅に帰るまでの間、リードは革命の鮮明な印象が徐々に消えていくことを心配しており[5]、政府によって取り上げられて返却を拒否された新聞を取り返すことに苦戦した。
リードは7か月後の11月まで資料を取り戻すことが出来なかった。リードが本を書くために一人でいる間、マックス・イーストマンはシェリダン・スクエアの中央でジョン・リードとの会談を思い起こした。
彼は世界を揺るがした10日間を昼夜を問わず10日以上書き続けている。彼はやつれて、髭も剃らず、肌は油切って、全く寝ていなかったので、彼の姿は半狂乱で顔はじゃがいもの様で、夜の作業が終わるとコーヒー一杯のために降りてきた。「マックス、私が所在を誰にも言わないでくれ。私は今ロシア革命の本を書いている。僕は全てのビラと新聞をロシア語の辞書を使って小さな部屋に並べて、昼夜通して働いている。私は既に36時間の間眠っていないが、2週間以内にこの仕事をすべて終える。そしてこの本をこのように命名するー世界を揺るがした10日間とー。さようなら。私はまたコーヒーを飲んで、仕事を続けるので私が所在を誰にも話さないでくれ!」
私が彼の状態を強調していると思いますか。彼が小さな部屋であまり良く分からない言語で書かれた新聞を天井にまで積み上げて、小さく使い古した辞書と記憶と権利を手に入れるための決意と見事な想像力で2,3週間で書き上げた作品と比べてアメリカ文学にはあまり優れた功績がない。しかし私が今何よりも言いたい事はあの朝の彼の喜びに満ちた狂気の目である。彼は偉大な本を書き上げた。そして彼はこの本をこのように名付けた。「世界を揺るがした10日間」と!
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評価
[編集]『世界を揺るがした10日間』は1919年に出版されてから、賛否両論、様々な反応を持って受け取られた。しかしこの本は最初に出版された当時、一部の批判家はリードの政治的信念に反する批判を行ったが、全体的に好意的な評価を受けた[7]。
アメリカの外交官、歴史家で、封じ込め政策の父として知られるジョージ・ケナンは共産主義に共感しなかったにも関わらず、この本を賞賛して、次のように述べている。
「リードによるロシア革命の説明は文学の力と洞察力と詳細についての 展望によってこの時代を記録し、この出来事を忘れた時あらゆる人に思い出させるだろう。」ケナンは眩しいほどの誠意と純粋な理想主義は想定外のアメリカ社会からの信用を勝ち取り、リード自身はこの利点を理解しなかったものの、結果としてこの信用がリードを守ったと見なしている[8]。
1999年3月1日、『ニューヨーク・タイムズ』紙はニューヨーク大学のジャーナリスト作品ランキング100位の中で[note 3]『世界を揺るがした10日間』を7位に挙げている[9][10]。ミッチェル・ステファンズはこのランキングの編集長であったが、以下のようにこの判定の理由を説明している。
このリストの第7位にある、1917年のロシアで起きた10月革命について報じたジョン・リードの著作「世界を揺るがした10日間」は、最も大きな論争を巻き起こすかもしれない。リードは党派心が強いという保守派からの批判があるのは確かだ。歴史家ならよりよい作品ができたかもしれないことにも同意する。しかし20世紀で最も重要な出来事にリードは直面し、それを書いた。著作で取り扱った出来事の重要さは我々の選考の重要な指標となった[11]。
しかし全ての評価が肯定的ではなかった。ヨシフ・スターリンは1924年にリードはトロツキーに関して誤解を招いていると主張した[12]。この本は赤軍の創設者であるトロツキーについてレーニンと共同で革命を導いたと見なし、スターリンについては2度しか言及していない。スターリンの言及の1度目はリストの中に名前が列挙されているだけであり、レーニンとトロツキーは国際的にも著名な革命家であったが、他のメンバーの活動については事実上知られてなかった[13]。
ロシア人作家のルィバコフ・アナトーリーはスターリン体制化のソ連で『世界を揺るがした10日間』が出版禁止となった経緯を詳細に述べている。「主な仕事は社会主義者の強力な体制を築くことであった。そのため強固な権力が必要だった。スターリンはレーニンと共に権力に頂点にいた。レーニンと共に彼は10月革命を導いたのだ。ジョン・リードは10月革命の歴史と違った事を述べている。そのためジョン・リードは我々には必要ない。」スターリンの死後に、この本は再出版されることが許された。
2000年に保守主義の研究機関であるISI(Intercollegiate Studies Institute)はホームページに、『世界を揺るがした10日間』を、20世紀のワーストブック・ランキング50位[14]で記載した。
出版
[編集]この本が最初に出版された後、リードは1919年の秋にロシアに戻り、レーニンがこの本を読む時間を取ったと知り、大喜びした。さらにレーニンはこの本の書評を書く事に同意し、ボニ&リヴライト社による1922年版からは以下の文章が載せられた[7]。
ジョージ・オーウェルが小説『動物農場』の紹介として書いた「報道の自由」(1945年)の中で[15]、オーウェルは「イギリス共産党はレーニンの紹介とトロツキーへの言及を省略した版を出版している」と批判した。
ロシア革命の最初の目撃談である『世界を揺るがした10日間』の作者、ジョン・リードの死によってこの本の著作権はイギリス共産党の手に渡った。イギリス共産党はこの本を後世に残すと私は信じている。数年後イギリスの共産主義者はこの本の原版を完全に破壊し、レーニンによるこの本の紹介とトロツキーの言及を削除し、原版から大きく歪められた版が出版された。
映画
[編集]1928年にはセルゲイ・エイゼンシュテインによってこの本が映画化された。
1967年にオーソン・ウェルズによって同タイトルでリメイクされた作品がグラナダのテレビ局によって放送された[16]。
ジョン・リード自身の功績とこの著作により、1981年にウォーレン・ベイティ監督・主演で『レッズ』が映画化された。
1982年にソ連の映画監督セルゲイ・ボンダルチュクが製作した『赤い鐘』に大きな影響を与えた(『赤い鐘』の副題は『世界を揺るがした10日間』である)[17]。
共産主義者の映画脚本家であるレスター・コールに1946年の作品『東京スパイ大作戦』ではジェームズ・キャグニーとシルヴィア・シドニーが演じる2人の登場人物が、作中で10日間かかる計画を共に立てているときに”世界を揺るがす10日間”という台詞を言う場面がある。
日本語版一覧
[編集]各・日本語版のタイトルは訳者や版元により異なったバリエーションで刊行である。
- 樋口弘・佐々元十訳『世界を震撼させた十日間』弘津堂書房、1929年。伏字多数の抄訳
- 原光雄訳『世界を震撼させた十日間』三一書房<上下>、1946年。大戦中に訳した
- 福沢守人訳『世界を震撼せる十日間』三光社、1946年。副題はロシア革命の歴史的記録
- 篠原道雄訳『世界を震撼させた十日間』三一書房、1952年
- 下村宗雄訳『世界を震撼せる十日間』彩光社<上下>、1955年。新書判
- 原光雄訳『世界をゆるがした十日間』岩波書店<岩波文庫 上下>、1957年、改版2011年
- 大崎平八郎訳『世界を震撼させた十日間』角川書店<角川文庫>、1972年
- 小笠原豊樹・原暉之訳『世界をゆるがした十日間』筑摩書房<筑摩叢書>、1977年
- 松本正雄・村山淳彦訳『世界をゆるがせた十日間』新日本出版社<新日本文庫 上下>、1977年
- 小笠原豊樹・原暉之訳『世界をゆるがした十日間』筑摩書房<ちくま文庫>、1992年。電子書籍版(上下)2010年、新版(全1巻)2016年
- 伊藤真訳『世界を揺るがした10日間』光文社<光文社古典新訳文庫>、2017年。電子書籍版、2018年
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c Reed, John (1990-02-07) [1919]. Ten Days that Shook the World (1st ed.). Penguin Classics. ISBN 0-14-018293-4
- ^ Mott, Frank Luther (1941). American Journalism: A History of Newspapers in the United States Through 250 Years, 1690–1940. New York: The Macmillan Company
- ^ Eastman, Max (1964). Love and Revolution: My Journey Through an Epoch. New York: Random House. pp. 69–78
- ^ Gold, Michael (1940-10-22). “He Loved the People”. The New Masses: 8–11.
- ^ Duke, David C. (1987). John Reed. Boston: Twayne Publishers. p. 41. ISBN 0-8057-7502-1
- ^ Eastman, Max (1942). Heroes I Have Known: Twelve Who Lived Great Lives. New York: Simon and Schuster. pp. 223–4
- ^ a b Duke, David C. (1987). John Reed. Boston: Twayne Publishers. ISBN 0-8057-7502-1
- ^ Kennan, George Frost (1989) [1956]. Russia Leaves the War: Soviet-American Relations, 1917–1920. Princeton University Press. pp. 68–69. ISBN 0-691-00841-8
- ^ Barringer, Felicity (1999年3月1日). “Journalism's Greatest Hits: Two Lists of a Century’s Top Stories”. The New York Times 2007年11月17日閲覧。
- ^ “The Top 100 Works of Journalism”. New York University. 2007年11月17日閲覧。
- ^ Stephens, Mitchell. “The Top 100 Works of Journalism in the United States in the 20th Century”. New York University. 2007年11月17日閲覧。
- ^ Trotskyism or Leninism?
- ^ Kahn, A. E. and M. Sayers. The Great Conspiracy: The Secret War Against Soviet Russia. 1st ed. Boston: Little, Brown and Co., 1946. pp. 190–1.
- ^ “50 Worst Books of the Twentieth Century”
- ^ George Orwell, "The Freedom of the Press, Orwell's Proposed Preface to Animal Farm", online: orwell.ru/library
- ^ Ten Days That Shook the World in the National Library of Australia (which apparently lists/conflates its date of acquisition with the actual year of production). It's also on You Tube in its entirety free.
- ^ Eleanor Mannikka. “Ten Days That Shook the World (1982)”. The New York Times. March 31, 2012閲覧。