丙寅丸
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丙寅丸(へいいんまる)は、幕末の長州藩の軍艦。1865年に英国で建造された[要出典]。1866年5月に高杉晋作が長崎にてイギリス商人トーマス・ブレーク・グラバーより購入した[要出典]。全長40余メートル排水量94トンで形式はバークであり、30馬力の蒸気機関でスクリュー駆動、大砲6門を備えていた[要出典]。原名は「Ostentosama」[1]。
長州藩の高杉晋作は、第二次長州征伐(四境戦争)直前の1866年5月に長崎へ赴き、丙寅丸を3万9千両で藩の了解を得ず独断で購入した[要出典]。
慶応2年の第二次幕長戦争では大島口の戦いに於いて、高杉が指揮する「丙寅丸」は6月13日に久賀で「旭日丸」と「八雲丸」を奇襲したが、目立った戦果も損害もなく、交戦後逃走した[2]。6月15日には「乙丑丸」、兵船2隻と共に安下庄に現れたが、「富士山」の攻撃を受け逃走した[2]。6月17日、「丙寅丸」は「癸亥丸」、「丙辰丸」とともに田ノ浦を襲撃[3]。小倉口の戦いでは、7月3日に「丙辰丸」、「庚申丸」とともに大里沖から幕府艦を攻撃し、7月27日にも「丙寅丸」は幕府艦や砲台と交戦した[4]。
戊辰戦争の後は、ヲテント丸(オテント丸)の名で定期貨客船として博多~大阪間の航路に就役した[要出典]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 金澤裕之『幕府海軍の興亡 幕末期における日本の海軍建設』慶應義塾大学出版会、2017年、ISBN 978-4-7664-2421-8
- 杉山伸也「グラバー商会」『九州と外交・貿易・キリシタン(II)』国書刊行会、1985年、401-540ページ