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中尾忠彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中尾 忠彦
生誕 1887年3月31日
日本の旗 日本 佐賀県
死没 (1948-08-31) 1948年8月31日(61歳没)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 ハバロフスク地方
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1908年 - 1937年
1945年
最終階級 陸軍少将
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中尾 忠彦(なかお ただひこ、1887年明治20年)3月31日[1] - 1948年昭和23年)8月31日[1][注釈 1])は、大日本帝国陸軍の軍人。最終階級は陸軍少将。

経歴

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1887年(明治20年)に佐賀県で生まれた[1]陸軍士官学校第20期、陸軍大学校第30期卒業[1]1932年(昭和7年)8月8日陸軍歩兵大佐進級と同時に大村連隊区司令官に着任[3]1934年(昭和9年)3月には歩兵第47連隊長に転じ[3]1935年(昭和10年)3月には第2師団参謀長に就任した[3]

1936年(昭和11年)3月に舞鶴要塞司令官に就任したが[1]1937年(昭和12年)8月2日に陸軍少将に進級し待命[1][3]8月22日予備役に編入された[1]1945年(昭和20年)3月31日に召集され、新義州陸軍兵事部長兼新義州地区司令官に就任した[4]。その後ソ連に抑留され、ハバロフスク地方で死去[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 厚生労働省の旧ソ連邦抑留中死亡者名簿50音別索引では8月30日に死亡となっている[2]

出典

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参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026