中尾歌舞伎
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中尾座 | |
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情報 | |
完成 | 1996年 |
所在地 |
〒396-0404 長野県伊那市長谷中尾363-5[1] |
位置 | 北緯35度45分56.26秒 東経138度04分40.2秒 / 北緯35.7656278度 東経138.077833度座標: 北緯35度45分56.26秒 東経138度04分40.2秒 / 北緯35.7656278度 東経138.077833度 |
中尾歌舞伎(なかおかぶき)は、長野県伊那市長谷中尾地区に伝わる農村歌舞伎の一つ。伊那市の無形民俗文化財に指定されている(1998年(平成10年)6月24日付け、当時・上伊那郡長谷村)[2]。
概要
[編集]江戸時代の明和4年(1767年)頃、この地に旅芸人が来て、上中尾の神様を祀る神社の前宮で演じたのが始まりとされている。その後、太平洋戦争で一時途絶えたが、1986年(昭和61年)4月29日の神明社春祭りに合わせ、地元の青年会員の手によって30余年ぶりに復活した[3]。1996年(平成8年)には廻り舞台が設置された本格的な芝居小屋「中尾座」が完成した[4]。
復活後、毎年春と秋に2回の定期公演を開催していたが、2017年(平成29年)に保存会の会員や演者の不足により活動を休止[5]。活動再開を望む多くの声を受け(映画監督・後藤俊夫を招いての応援イベントが開催された)、地元で検討を重ねた結果、2018年(平成30年)1月より稽古を再開[6]。そして4月29日、満席となった中尾座で歌舞伎を披露した[7]。
主な演題に、御所桜堀川夜討弁慶上使の段、義経千本桜鮓屋の段、奥州安達原三段目袖萩祭文の段、絵本太功記十段目尼ヶ崎の段、人情噺文七元結、一谷嫩軍記熊谷陣屋の段などがある。中尾には慶応元年(1865年)の年号がある引幕や、浄瑠璃本10数冊が残されている[8]。
公演
[編集]独自公演
[編集]- 平成26年春季公演「恋女房染分手綱 重の井子別れの段」
- 平成26年秋季公演「神霊矢口之渡 頓兵衛住家の段」
- 平成27年春季公演「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」
- 平成27年秋季公演「奥州安達原三段目 袖萩祭文の段」
- 平成28年春季公演「人情噺 文七元結」
- 平成28年秋季公演「乳母重の井」
- 平成30年春季公演「御所桜堀川夜討 弁慶上使の段」 - 前座は伊那市立長谷小学校4年生児童らによる演劇「孝行猿」[7]。
複数団体公演
[編集]- 平成23年第5回信州農村歌舞伎祭「奥州安達ヶ原三段目 袖萩祭文の段」
- 平成24年第6回信州農村歌舞伎祭「恋女房染分手綱 重の井子別れの段」
- 平成26年第8回信州農村歌舞伎祭「御所桜堀川夜討 弁慶上使の段」
- 平成28年第10回信州農村歌舞伎祭「奥州安達ヶ原三段目 袖萩祭文の段」
脚注
[編集]- ^ “最新のお知らせ”. 中尾歌舞伎保存会. 2018年2月4日閲覧。
- ^ “伊那市の指定文化財一覧表(平成28年8月現在)”. 伊那市 (2016年8月24日). 2018年2月4日閲覧。
- ^ 信濃毎日新聞1986年4月30日木曜日
- ^ “中尾歌舞伎の歴史”. 中尾歌舞伎保存会. 2018年2月4日閲覧。
- ^ “「中尾歌舞伎」が活動休止 春季公演は中止”. Nagano Nippo Web (長野日報社). (2017年3月2日). オリジナルの2018年2月4日時点におけるアーカイブ。 2018年3月5日閲覧。
- ^ “中尾歌舞伎ふたたび 4月に定期公演”. Nagano Nippo Web (長野日報社). (2018年2月16日) 2018年3月5日閲覧。
- ^ a b “待ってました中尾歌舞伎 1年半ぶりに上演”. Nagano Nippo Web (長野日報社). (2018年4月30日) 2018年5月9日閲覧。
- ^ 長谷村誌刊行委員会『長谷村誌 第二巻 自然編 現代社会編』長谷村誌刊行委員会、1994年、626頁。
参考文献
[編集]- 長谷村誌刊行委員会『長谷村誌 第二巻 自然編 現代社会編』長谷村誌刊行委員会、1994年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
- 中尾歌舞伎 伊那市長谷 中尾(動画) - 科学映像館