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中山弘子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中山 弘子
なかやま ひろこ
生年月日 (1945-02-06) 1945年2月6日(79歳)
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下台湾台北州羅東郡羅東街(現:中華民国の旗 台湾宜蘭県羅東鎮
出身校 日本女子大学文学部社会福祉学科
前職 地方公務員東京都
東京都人事委員会事務局長
東京都監査事務局長
所属政党 無所属
称号 旭日中綬章

当選回数 3回
在任期間 2002年11月24日 - 2014年11月23日
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中山 弘子(なかやま ひろこ、1945年昭和20年)2月6日[1] - )は、日本政治家。元東京都新宿区長(3期)。

来歴

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日本統治下台湾宜蘭県羅東鎮に生まれ、生後間もない1946年3月、父の故郷である群馬県沼田市引き揚げる群馬県立沼田女子高等学校日本女子大学文学部社会福祉学科卒業。1967年東京都庁に入庁。目黒区中野区で7年間、区政に携わった。東京都人事委員会事務局長、東京都監査事務局長などを歴任。

2002年10月9日、相続税や所得税など約10億円の滞納が問題となっていた新宿区長の小野田隆が辞職。同月東京都庁を退職し、11月24日に行われた区長選挙に自由民主党公明党連合東京などの推薦を受けて立候補し初当選した(東京23区初の女性区長[2]

2006年に再選。2007年東京エコサービス株式会社代表取締役社長。2010年の新宿区長選挙には、一旦山崎泰が立候補を表明したものの直前に出馬を取り止め、山下万葉が出馬したが、自由民主党公明党たちあがれ日本の推薦を受けた中山が対立候補2人を大差で破り、3選。

2014年6月11日、新宿区議会の定例議会において、11月の新宿区長選挙には立候補しない意向を表明し[3]、3期12年で新宿区長を退任した。

2015年6月小田急電鉄取締役。

同年11月、旭日中綬章受章。

2016年4月、特別区人事委員会委員長[4]

同年6月、中村屋が買収防衛策として設置している独立委員会の委員に就任[5]

政策・主張

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  • 新宿区役所内に「歌舞伎町ルネッサンス協議会」を設置し自ら会長を務め、歌舞伎町の違法風俗店や客引きを規制する「クリーンプロジェクト」を推進した。

脚注

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外部リンク

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先代
今村皓一
東京都人事委員会事務局長
1999年 - 2001年
次代
髙橋功
先代
藤堂義弘
東京都監査事務局長
2001年 - 2002年
次代
久保田康治