中島三郎
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中島 三郎 | |
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生誕 |
1882年4月15日 日本 岡山県 |
死没 | 1952年2月17日(69歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1902年 - 1936年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
中島 三郎(なかじま さぶろう、1882年(明治15年)4月15日[1] - 1952年(昭和27年)2月17日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1882年(明治15年)に岡山県で生まれた[1]。陸軍士官学校第13期卒業[2]。1925年(大正14年)5月1日に陸軍重砲兵学校教育部長に就任し[3]、8月7日に陸軍砲兵大佐に進級した[3]。1928年(昭和3年)3月に横須賀陸軍重砲兵連隊長に転じ[3]、1929年(昭和4年)8月に陸軍造兵廠総務部長に就任した[3]。
1930年(昭和5年)8月1日に陸軍少将進級と同時に陸軍技術本部総務部長に着任し[1][3]、1932年(昭和7年)8月に陸軍技術本部第1部長に転じた[1][2]。1934年(昭和9年)8月に陸軍中将に進級し[3]、1935年(昭和10年)12月に旅順要塞司令官に就任し[2]、1936年(昭和11年)8月1日に待命[2]、8月28日に予備役に編入された[2]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。