中島俊一 (ボクサー)
基本情報 | |
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本名 | 中島 俊一 |
階級 | スーパーフライ級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1961年3月2日(63歳) |
出身地 | 茨城県日立市 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 30 |
勝ち | 23 |
KO勝ち | 13 |
敗け | 7 |
中島 俊一(なかじま しゅんいち、1961年3月2日 - )は、日本の元プロボクサー。第12代日本スーパーフライ級王者。茨城県日立市出身。日立第一高校、明治大学卒業。現在はBoy's水戸ボクシングジム会長を務める。
来歴
[編集]明治大学でボクシング部に入部し、ボクシングを始め、卒業後、ヨネクラジムに入門。
1984年6月12日、プロデビュー(3回TKO)勝ち[1]。
1985年9月24日、7戦目で日本王座初挑戦。空位の日本スーパーフライ級王座を丸尾忠と争うも、10回判定負け(プロ初黒星)。
1987年8月29日、OPBF東洋太平洋スーパーフライ級王座挑戦。王者・鄭炳寛(韓国)に挑むも、12回判定負け。
1988年3月1日、2度目の日本王座挑戦。西川浩二と空位の日本スーパーフライ級王座を争い、10回判定勝ち。王座獲得に成功。その後、6度の防衛に成功し、世界ランキングもWBA2位にまで上昇。
1990年6月30日、日本王座在位のまま世界初挑戦。敵地でWBA世界スーパーフライ級王者カオサイ・ギャラクシー(タイ)に挑んだが、8回TKOで敗れ王座奪取ならず。
1990年10月15日、再起戦となった日本王座7度目の防衛戦で当時20歳の新鋭・鬼塚勝也(当時、WBA世界スーパーフライ級8位)と対戦し、最終10回TKO負け。王座を手放した。
1991年3月18日、雪辱・王座返り咲きを懸け、鬼塚と再戦するも10回判定負け。王座返り咲きを果たせず、この試合を最後に引退した。
引退後はヨネクラジムトレーナーおよび会社経営を経て、現在は茨城県水戸市にBoy's水戸ボクシングジムをオープンさせ、会長として後進の指導に力を入れている。
獲得タイトル
[編集]- 第12代日本スーパーフライ級王座 (防衛6)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Boy's水戸ボクシングジム - ウェイバックマシン(2008年8月20日アーカイブ分)
- ボクシン子クラブ - 公式ブログ
空位 前タイトル保持者 内田好之 |
第12代日本スーパーフライ級王者 1988年3月1日 - 1990年10月15日 |
次王者 鬼塚勝也 |