中島和三
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中島 和三(なかじま わぞう、慶応元年8月1日(1865年9月20日)[1] - 1944年(昭和19年)1月2日[1])は、明治から昭和時代前期の政治家。高知県高岡郡須崎町長、高知市長。高知県会議員。
経歴・人物
[編集]五藤家の旧臣・中島作次の次男として土佐国安芸郡土居村(現・安芸市)に生まれる[1]。1883年(明治16年)高知県師範学校中等科を卒業後、安芸郡大井・井ノ口、土佐郡潮江などの訓導を経て、幡多郡視学[1]。その後、県属となり、1908年(明治41年)香美郡長、1912年(大正元年)吾川郡長、1914年(大正3年)高岡郡長を経て、1917年(大正6年)12月、高知市長に就任[1]。1921年(大正10年)12月まで務める[2]。
満期辞任後は、1922年(大正11年)高知県教育会長を15年務め、さらに同年、高知信用組合を設立し、組合長に就任した[1]。ほか、1923年(大正12年)県会議員、1925年(大正14年)須崎町長、1929年(昭和4年)城東商業学校長などを歴任した[1]。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『高知県人名事典 新版』高知新聞社、1999年。ISBN 4875032854。
- 高知県誌刊行会 編『高知県誌』高知県誌刊行会、1933年 。