中島喜久平
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中島 喜久平(なかじま きくへい、1883年6月 - 1914年8月2日)は、日本の文筆家。
略歴
[編集]長野県諏訪郡米沢村(現・茅野市)出身。諏訪郡立実科中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、第一高等学校に試験の成績一番で入学。同期に鶴見祐輔がいた[1]。東京帝国大学法科大学卒業。中島菫畝の筆名で執筆をしている。
著書
[編集]- 『偉人二宮尊徳 勅語教訓』修文館 1910年(挿絵:坂田耕雪)
- 『偉人伊藤公爵 勅語教訓』修文館 1910年(挿絵・表紙:坂田耕雪)
- 『赤穂義士』修文館 1912年
- 『菊水の旗風 勅語教訓』修文館 1912年
- 『誠忠乃木大将』修文館 1913年
作詞
[編集]- 長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校第二校歌
参考文献
[編集]- 『ああ博浪の槌とりて 人間中島喜久平と諏訪の育英』五味幸男 1995年
脚注
[編集]- ^ 『第一高等学校一覧 自明治39年至明治40年』第一高等学校、1907年、253頁。