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中川幸次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中川 幸次(なかがわ ゆきつぐ、1920年3月11日 - 2015年12月28日[1])は、日本のエコノミスト。元野村総合研究所社長。中曽根康弘元総理大臣のブレーンとして知られた[2][3]

人物

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山口県出身。高松高等商業学校を経て、1943年9月旧制東京商科大学(のちの一橋大学)本科を卒業し、日本銀行入行。大学では山田雄三ゼミナールに所属[4]。 日本銀行調査局次長、総務部長を経て、1973年営業局長、1975年理事。 1980年野村総合研究所副社長、1983年同社長 兼 研究所長、1987年同相談役、1990年同顧問、1993年財団法人世界平和研究所副会長(会長:中曽根康弘)、1994年三愛石油監査役。

この間第二次臨時行政調査会臨時行政改革推進審議会に所属、財政再建規制緩和等を担当し、行政改革に取り組んだ[5]。また1985年、中曽根首相が「政府税調に官僚出身でない純民間の暴れ馬を入れ補強したい」と述べたことを受け、政府税制調査会特別委員に就任し、税制改革に取り組んだ[6]

趣味は囲碁浜田山の自宅周辺の散歩。酒はほとんど飲まず、二次会と名のつくものに参加したことはない[7]

脚注

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  1. ^ 元日銀理事の中川幸次さん死去 朝日新聞 2016年1月6日
  2. ^ 渡辺恒雄「ファンド資本主義の時代に――教養主義の復活を――」
  3. ^ 『渡邉恒雄回顧録 (中公文庫) 』p.414
  4. ^ 1986/07/14, 日本経済新聞
  5. ^ 1986/10/13, 日本経済新聞
  6. ^ 1985/08/31, 日本経済新聞
  7. ^ 1984/05/24, 日経産業新聞

参考文献

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