中川浅之助
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中川 浅之助(なかがわ あさのすけ、1874年2月7日 - 1920年11月1日)は、日本の実業家。第2代宇治川電気社長。初代日本電力副社長。
人物・経歴
[編集]1899年高等商業学校(現一橋大学)卒業、大阪商船入社。神戸支店助役、運輸課助役、仁川支店長、計理課長兼内航部長を経て[1]、中橋徳五郎に任じられ宇治川電気総支配人に就任[2]。1917年宇治川電気取締役[3]。中橋の指名を受け1918年からは宇治川電気取締役社長を務め[2]、日本電力副社長も兼務したが[4]、在任中の1920年に死去した[2]。
参考文献
[編集]- 『近代日本経済人大系 第2巻(電力篇)』日本図書センター 2003年
脚注
[編集]- ^ 中川淺之助 (第4版 [大正4(1915)年1月 の情報)日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
- ^ a b c 橘川武郎, 島田昌和編集『進化の経営史: 人と組織のフレキシビリティ』209ページ
- ^ 宇治川電気(株)『宇治電之回顧』(1942.12)渋沢社史データベース
- ^ 日本電力(株)『日本電力株式会社十年史』(1933.05)渋沢社史データベース
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