中川龍一 (工学者)
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中川 龍一(なかがわ りゅういち、1925年(大正14年)1月1日[1] - 2001年(平成13年)11月14日[2])は、日本の材料工学者。科学技術庁金属材料技術研究所(独立行政法人物質・材料研究機構の前身のひとつ)所長、静岡理工科大学学長などを歴任した。
概要
[編集]石川県金沢市出身[3]。 東京帝国大学卒[4]。 1947年、当時の商工省機械試験所(独立行政法人産業技術総合研究所の前身のひとつ)に入所[4]。以降、おもに、ステンレス鋼の冶金学的研究に従事した。 1961年、「オーステナイト系耐熱鋼の冶金学的研究」により、東京大学から工学博士を取得[5]。
1985年4月、「発明改良」の功により紫綬褒章を受章した[6]。1989年6月27日付で、金属材料技術研究所所長を退任した[7]。
1995年4月から静岡理工科大学第2代学長となり[4][8]、就任直後の春の叙勲で勲二等瑞宝章を受章した[9]。しかし、学長としての4年の任期は全うせず、1998年8月に退任した[10]。
2001年11月14日、肺癌により死去[2]、12月11日付で正四位が追贈された[11]。
出典・脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.4324
- ^ a b “(訃報)中川龍一氏”. 朝日新聞・朝刊: p. 39. (2001年11月16日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “著名人の訃報・葬儀スケジュール 中川龍一”. Interlink. 2013年9月23日閲覧。
- ^ a b c “新学長に中川龍一氏 静岡理工科大”. 朝日新聞・朝刊・静岡. (1995年3月21日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “オーステナイト系耐熱鋼の冶金学的研究 中川龍一”. 国立国会図書館. 2013年9月23日閲覧。
- ^ “879人に春の褒章 一筋の人生に光 女性は最多の81人”. 朝日新聞・朝刊: p. 22. (1985年4月28日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “科学技術庁人事(27日付)”. 朝日新聞・夕刊: p. 2. (1989年6月27日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “沿革”. 静岡理工科大学. 2013年9月23日閲覧。
- ^ “春の叙勲受章者 勲三等以上”. 朝日新聞・朝刊: p. 23. (1995年4月29日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “新学長に塩田進氏 静岡理工科大”. 朝日新聞・朝刊・静岡. (1998年8月21日) - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
- ^ “叙位・12月11日”. 読売新聞・朝刊・多摩: p. 35. (2001年12月12日) - ヨミダス歴史館にて閲覧