中曽根松五郎
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中曽根松五郎(なかそね まつごろう、1889年(明治22年)1月20日 - 1969年(昭和44年)7月[1])は、日本の商人(材木商)。
上信電鉄社長も務めた。第71-73代内閣総理大臣中曽根康弘の父。文部大臣・科学技術庁長官・外務大臣を歴任した中曽根弘文の祖父、衆議院議員中曽根康隆の曽祖父。
来歴・人物
[編集]群馬県碓氷郡里見村(現高崎市)に中曾根松五郎(先代)の長男として生まれる。1907年(明治40年)襲名する。
関東有数の材木問屋「古久松」を営んだ。敷地は3ヘクタール(3万平方メートル)もあって、中曽根康弘の学生時代には、働いている職人150人、住み込みの女中が20人ぐらいは常時いたという[2]。康弘の政界入りには当初は反対したが、最終的には「政治家を目指すなら佐倉惣五郎になれ。」と言って政界入りを後押しした。
1969年(昭和44年)没。享年80。
家族
[編集]猪野三郎監修『第十二版 大衆人事録 北海道、奥羽、関東、中部、外地、満州、支那、海外篇』群馬一一頁によれば、
神一行著『閨閥 改訂新版』176頁によれば、「三男・良介は戦死、四男・昌吉は病死している。」という。
エピソード
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 猪野三郎監修『第十二版 大衆人事録 北海道、奥羽、関東、中部、外地、満州、支那、海外編』(昭和13年)群馬一一頁
- 神一行 『閨閥 改訂新版 特権階級の盛衰の系譜』 角川書店 2002年 166-180頁