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中村典正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中村 典正(なかむら てんしょう、1935年12月12日 - 2019年8月16日[1])は、おもに歌謡曲演歌を手がける日本の作曲家[2]。本名:中村貞夫(なかむら さだお)。

経歴

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山口県の後の新南陽市[3]周南市にて誕生[4]。地元開催の「コロムビア歌謡コンクール」徳山大会で入賞し[4]、歌手を志して「かばん1つで上京」した[5]1958年には「コロムビア歌謡コンクール」全国大会で入賞して若山彰付き人となる[4]原六朗に師事した後[4]、歌手ではなく作曲の道に進んだ[2]

1963年北島三郎の『三郎太鼓』のB面曲[4]『田舎へ帰れよ』で、本名の中村貞夫として[6]作曲家デビューした[2][5]1969年には、中村千里名義で[4][7]同じく北島三郎の『仁義』をヒットさせた[4]

その後中村典正と改名して日本クラウンの歌手の作曲を手がけ、鳥羽一郎の『男の港』などのヒットを生んだ[2][4]

1982年より、別名義の山口ひろしとして他社の歌手にも楽曲提供を開始。1992年藤あや子の『こころ酒』が第25回日本有線大賞で大賞を受賞。1997年には石原詢子の『手鏡』が第30回有線大賞有線音楽賞を受賞した。

妻である松前ひろ子の楽曲を多数手がけているほか、後に娘婿となる三山ひろしを育てたことでも知られる[2]。作曲家生活50周年を迎えた2013年には、代表的作品を集めた、松前ひろ子『中村典正・山口ひろし作品を唄う 中村典正作曲家生活50周年記念アルバム』[4]、三山ひろし『三山ひろし縁歌集三山ひろし 恩師・中村典正を唄う』が発表された[8]

2019年8月16日、肺炎のため死去[1]。83歳没。

脚注

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出典

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