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中村博保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中村 博保(なかむら ひろやす、1932年[1] - 1997年11月5日[2])は、日本の日本文学研究者。専門は日本近世文学、特に上田秋成静岡大学名誉教授[3]

東京都墨田区生まれ[1]。1944年麻布中学校・高等学校に入学[3]。地方転出のため休学し、1952年新潟県立長岡高等学校卒業[3]。1956年早稲田大学第二文学部卒業[3]、1961年同大学大学院文学研究科修士課程修了[3]

1959年芝中学校・高等学校教諭(- 1966年)[3]。教え子に北方謙三がいた[4]。北方は「私の持っている素養の大部分は、先生から受けたものだと言っても、過言ではないだろう」と述懐している[4]。1966年暁星高校教諭(- 1972年)[3]。1972年、静岡大学教育学部助教授[3]、1976年同教授[3]。1995年同大学を定年退職[3]、同大学名誉教授[3]富士フェニックス短期大学教授[3]。1997年、同大学副学長に就任するも[3]、同年11月5日死去。正四位勲三等瑞宝章を追贈された[3]

鵜月洋に師事し、急逝した鵜月の遺稿を『雨月物語評釈』としてまとめあげた[1]。本書は鵜月の名前で刊行されているが、実質的には中村の代表作として認知されている[1]

著書

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単著
編著
  • 『昭和文学60場面集 小説空間を読む 4 情念篇』中教出版、1990年9月
校注
  • 『英草紙』(日本古典文学全集 48)小学館、1978年2月
  • 『日本の古典 完訳 57 雨月物語 春雨物語』小学館、1983年9月
  • 『英草紙』(新編日本古典文学全集 78)小学館、1995年10月
  • 『近世歌文集 下』(新日本古典文学大系 68)岩波書店、1997年8月

出典

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  1. ^ a b c d 中野三敏『師恩』岩波書店、2016年1月、134-136頁。 
  2. ^ 加藤正秀「弔辞」『富士フェニックス論叢中村博保教授追悼特別号』、富士フェニックス短期大学、1998年11月、2-3頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 「中村博保教授年譜」『富士フェニックス論叢中村博保教授追悼特別号』、富士フェニックス短期大学、1998年11月、4-7頁。 
  4. ^ a b 北方謙三「わが師」『富士フェニックス論叢中村博保教授追悼特別号』、富士フェニックス短期大学、1998年11月、46-47頁。