中村敏夫
なかむら としお 中村 敏夫 | |
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生誕 |
1938年2月18日 宮崎県 |
死没 |
2015年5月26日(77歳没) 東京都 |
死因 | 急性肺炎 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 立教大学文学部 |
職業 | プロデューサー、実業家 |
中村 敏夫(なかむら としお、1938年(昭和13年)2月18日 - 2015年(平成27年)5月26日)は、日本のプロデューサー。実業家。宮崎県出身[1]。
来歴・人物
[編集]1960年(昭和35年)立教大学文学部卒業後[2]、松竹に入社[2]。
フジプロダクションを経て[注 1]、1980年(昭和55年)にフジテレビに入社[2][注 2]。主にドラマの制作畑を歩み、国民的ドラマ『北の国から』や『オレゴンから愛』などをプロデュースした。制作室長、取締役(1997-2001)を歴任し[1]、2001年(平成13年)に退職[2]。フジクリエイティブコーポレーション副社長に転じ[3]、北海道文化放送取締役(2006-)、フジアール取締役なども務めた。
2015年5月26日、急性肺炎のため死去[2]。77歳没。通夜は同月31日に護国寺桂昌殿で営まれ、タモリや北島三郎など550人が参列した[3][4]。葬儀・告別式は翌日同所で営まれ、倉本聰が弔辞を述べ、吉岡秀隆、中嶋朋子、岩城滉一など250人が最後の別れを告げた[5]。また北の国からで正吉役を演じ俳優業を引退していた中澤佳仁も参列した[6]。
北の国から
[編集]北の国からは、1981年(昭和56年)10月から放送が開始されたが、当初、視聴率は思わしくなく、プロデューサーを務めた中村は辞表を日枝久編成局長に出すほどだった[7]。ところが、同じ金曜日夜TBSで放送されていた『想い出づくり。』(脚本・山田太一)を向こうに回して、尻上がりによくなり、回を重ねるほど投書も増え、最終回には20%を超える高視聴率を挙げた[7]。最終回の放送日は、1982年(昭和57年)3月26日だったが、この日、フジテレビは朝刊に前例のないお礼広告を出している[8]。
主な作品
[編集]松竹時代
[編集]フジテレビ時代
[編集]- 北の国から (1981) プロデュース[9]
- 君は海を見たか (1982) プロデュース
- 早春スケッチブック(1983) プロデュース[1]
- 北の国から'83冬 (1983) プロデュース
- 北の国から'84夏 (1984) プロデュース
- オレゴンから愛(1984) プロデュース[1]
- 真夜中の匂い(1984) プロデュース
- ライスカレー (1986) プロデュース[10]
- 時にはいっしょに (1986) プロデュース
フジクリエイティブコーポレーション以降
[編集]- 北の国から 2002 遺言 (2002) プロデュース
- 優しい時間(2005) 制作総指揮[11]
- やがて来る日のために(2005年) 企画
- 奇跡の動物園〜旭山動物園物語〜(2006) プロデュース
- 拝啓、父上様(2007) 制作総指揮
- 星ひとつの夜(2007) 企画
- 鯨とメダカ(2008) 制作総指揮
- 風のガーデン(2008) 統括プロデュース
- ありふれた奇跡(2009) 統括プロデュース
脚注
[編集]注
[編集]- ^ 1970年にフジテレビが制作部門を分社化して設立した子会社。
- ^ フジプロダクションの法人清算(フジテレビへの事業譲渡)に伴う転籍。
- ^ 本作は、関西テレビと松山プロダクション・松竹が共同で製作し、京都映画が実質的に製作を担当した。
出典
[編集]- ^ a b c d “中村敏夫氏死去(元フジテレビプロデューサー)”. 時事ドットコム (時事通信社). (2015年5月26日) 2015年7月9日閲覧。
- ^ a b c d e 「北の国から」の中村敏夫さん死去 デイリースポーツ 2015年5月26日閲覧
- ^ a b “元フジTVプロデューサー中村敏夫さん通夜 タモリら別れ惜しむ”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2015年6月1日) 2015年7月9日閲覧。
- ^ “名物プロデューサー中村敏夫さん通夜に550人 田中邦衛、吉岡秀隆ら供花”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2015年6月1日) 2015年7月9日閲覧。
- ^ “中村敏夫氏葬儀に「北の国から」ファミリーら250人参列”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン新聞社). (2015年6月2日) 2015年7月9日閲覧。
- ^ 『北の国からDVDマガジンVo.9』p.11。
- ^ a b 志賀 2003, p. 138.
- ^ 志賀 2003, p. 139.
- ^ “中村敏夫さん死去 「北の国から」の元プロデューサー”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2015年5月26日) 2015年7月9日閲覧。
- ^ 森岡真一郎 (2015年5月31日). “【甘口辛口】サブちゃんがキタサンブラックにかける夢…日本ダービーで亡き友に捧げる『まつり』を”. SANSPO.COM (産経デジタル) 2015年7月9日閲覧。
- ^ “中村敏夫さん告別式しめやかに 吉岡秀隆、二宮和也ら250人”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2015年6月1日) 2015年7月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 志賀信夫『映像の先駆者 125人の肖像』日本放送出版協会、2003年3月。ISBN 978-4140807590。