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中村祐七

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中村 祐七[1](なかむら ゆうしち、1845年5月20日弘化2年4月15日[2] - 1915年大正4年)6月10日[3])は、日本実業家。中村組合資会社業務執行社員[2][4]。姫路水力電気相談役[2]。族籍は兵庫県平民[2][4]

人物

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石見国邑智郡口羽村(現・島根県邑智郡邑南町)の人である[3]。島根県平民・中村彌三八の二男[2][4]1874年姫路に来て陸軍用達となる[3]1882年分家して一家を創立する[2][4]1887年、加東郡青野ヶ原を開いて軍馬養成所に充て1891年、伯耆大山を開く[3]。始終力を軍用に尽くす[3]。1915年6月10日、死去[3]。年71[3]。住所は姫路市龍野町1丁目[1][2][4]

家族・親族

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中村家

脚注

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  1. ^ a b 『大日本紳士鑑』兵庫県姫路市324頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年5月28日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第4版』な42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月5日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 『姫路市史 市制施行三十年記念』267頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年1月5日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第3版』な77頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月30日閲覧。

参考文献

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  • 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 播磨史談会編『姫路市史 市制施行三十年記念』姫路市、1919年。