中村良謙
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中村良謙 なかむら よしかね なかむら りょうけん | |
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生年月日 | 1844年11月17日 |
出生地 |
日本 肥前国藤津郡音成村 (現・佐賀県鹿島市) |
没年月日 | 1921年11月6日(76歳没) |
出身校 |
弘道館 弘文館 |
前職 | 実業家 |
在任期間 | 1895年2月26日 - 1897年9月28日 |
中村 良謙(なかむら よしかね[1] / りょうけん[2]、1844年11月17日(弘化元年10月8日[3])- 1921年(大正10年)11月6日[3][1])は、明治から大正期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員、佐賀県藤津郡七浦村名誉職村長。幼名・與(与)一郎[2][3]。
経歴
[編集]肥前国藤津郡音成村(佐賀県[1]藤津郡七浦村音成[3]を経て現鹿島市音成)で、鹿島藩士・中村良晴の息子として生まれる[2]。12歳で鹿島藩校弘文館に入学[2][3]。その後、諫早の蓮池良山、佐賀藩校弘道館で学んだ[2][3]。天保13年(1842年)から鹿島藩の財産均等政策の影響を受けて家産に打撃を受けたが、業務に精励し質素倹約に努めた結果、家産の回復を果たした[2][3]。
1889年(明治22年)6月、七浦村名誉村長に就任[1][2][3]。佐賀県金庫出納役、徴兵参事員、県道開鑿委員などを務め、1892年(明治25年)1月、鹿島銀行頭取に就任した[1][2][3]。
1895年(明治28年)貴族院多額納税者議員補欠選挙で佐賀県多額納税者として互選され[3][4]、同年2月26日に就任し[5]、1897年(明治30年)9月28日の任期満了まで1期在任した[1][2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1900年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 – 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 旧肥前史談会編『佐賀県歴史人名事典』洋学堂書店、1993年。