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中村藤一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中村 藤一(なかむら とういち、1876年明治9年)9月 - 1945年昭和20年)12月7日[1][2])は、日本実業家。元日本製粉代表取締役会長

人物・経歴

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長崎県出身[3]長崎県立長崎中学校を経て、1899年高等商業学校(現一橋大学保険科専攻部卒業、三井物産入社[4][5]。三井物産では本店金物主任大阪支店次席、神戸支店長、本店営業部長等を歴任した[3][5]

1928年には経営不振が続いていた日本製粉鈴木商店所有株式が三井に渡り、それに伴い同年から日本製粉代表取締役専務取締役に就き経営にあたった。後任の三井物産営業部長には向井忠晴が就いた[6][7]

安川雄之助が三井財閥から退くと、1936年に日本製粉取締役会長兼代表取締役専務取締役に就任した[3]。1940年全国製粉協会理事全国製粉配給取締役、日本製粉取締役会長。1941年日本製粉相談役[8]

親族

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妻タケは衆議院議員第十銀行頭取を務めた佐竹作太郎の長女[5]。長女シゲはライオン油脂第2代社長小林寅次郎の妻。三女寿恵は元日本銀行総裁宇佐美洵の妻[9]

脚注

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  1. ^ 「(死亡広告)中村藤一」『朝日新聞』1945年12月11日、2面。
  2. ^ 「中村藤一氏(日本製粉相談役)」『毎日新聞』1945年12月13日、2面。
  3. ^ a b c 日本製粉會長 中村藤一/61『次代を背負ふ財界人』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 東京商科大学卒業生名簿. 昭和16年5月末日現在国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b c 中村藤一 (男性)人事興信録データベース(名古屋大学)
  6. ^ 日本製粉を三井の手で経営鈴木の持株を肩替りし安川氏社長就任東京朝日新聞 1928.1.25 (昭和3)(神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 製粉業(02-158))
  7. ^ 「日本製粉(株)『日本製粉株式会社七十年史』(1968.06)」渋沢社史データベース
  8. ^ 日本製粉(株)『日本製粉株式会社七十年史』(1968.06)渋沢社史データベース
  9. ^ 「中村藤一」『人事興信録. 第13版(昭和16年) 下』(国立国会図書館デジタルコレクション)
先代
安川雄之助
日本製粉会長
1936年 - 1941年
次代
神戸俊次郎
先代
窪田駒吉
日本製粉専務(旧社長)
1928年 - 1940年
次代
神戸俊次郎