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中村豪 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中村 豪
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県名古屋市
生年月日 (1942-06-28) 1942年6月28日(82歳)
選手情報
ポジション 投手一塁手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

中村 豪(なかむら たけし、1942年6月28日 - )は、愛知県名古屋市出身の高校野球指導者。

来歴

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選手としての現役時代は名古屋電気高校愛知学院大学電電東海(のちのNTT東海)で投手および一塁手として活躍した[1]

1978年名古屋電気高校(現・愛工大名電高校)の硬式野球部監督に就任。名監督として知られ、20年間で計5回の甲子園大会出場に導き、工藤公康山﨑武司イチローら、総勢10名以上のプロ野球選手を世に送り出している[1]。工藤を擁した1981年夏の大会では4強入りを果たす。1997年をもって監督を勇退し、部長、総監督を務めた[1]

2002年4月から豊田大谷高校監督に就任[1]2007年秋の愛知県大会で同校初の優勝を飾り、その大会をもって11月に定年退職した。2006年日本高校野球連盟育成功労賞を受賞[2]

定年退職後は幡豆郡吉良町(現・西尾市)に移り住んで趣味の絵画などをしながら生活を送り、地元の子供にボランティアで週1回野球を指導している。また、町長の依頼により、地元の高校である吉良高校野球部のアドバイザーも務めている。

プロ野球などの審判の指導員を務めたこともある[要出典]

人物

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教え子のひとりであるイチローはインタビューにおいて、「3年間指導を受けた中村監督は、イチローさんにとってどんな存在ですか?」と問われた際、「間違いなく僕の人生の師でしょうね。監督からは野球はもちろんですが、それ以外のことを教わりました」と答えている[3]

2007年に高校野球監督から退いたときには、教え子のひとりである山﨑武司が発起人となって勇退パーティーが開かれ、700人もの関係者が訪れた。また、パーティーの際に外国製の高級腕時計を贈られ、中村はこれを「生涯の宝物」としている[4]

甲子園での成績

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  • :出場2回・2勝2敗
  • :出場3回・4勝3敗
  • 通算:出場5回・6勝5敗

著書

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脚注

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  1. ^ a b c d 中村 豪 プロフィール”. システムブレーン. 2021年7月6日閲覧。
  2. ^ “高校野球の育成功労賞に日大三の小倉監督ら”. 朝日新聞デジタル. (2006年6月13日). https://vk.sportsbull.jp/koshien/news/OSK200606130067.html 2021年7月6日閲覧。 
  3. ^ 『イチロー・インタビュー Attack the Pinnacle!』(2001年小松成美著、新潮社[要ページ番号]
  4. ^ “(13)教え子がくれた宝物 - 愛知”. 朝日新聞デジタル. (2012年4月19日). http://www.asahi.com/area/aichi/articles/MTW20120419240950001.html 2021年7月6日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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