中村雅真
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中村 雅真(なかむら がしん/まさざね、1854年4月22日(嘉永7年3月25日)[1] - 1943年(昭和18年)2月21日[2][3])は、明治から昭和時代戦前の政治家。貴族院多額納税者議員、奈良県添上郡奈良町長。
経歴
[編集]大和国添上郡奈良西御門町[2](現奈良市西御門町)で、中村尭円の二男として生まれ、1886年(明治19年)家督を相続する[4]。
亡き父の後を受けて興福寺に仕え、維新後は信徒総代として会計監督に任じた[4]。1873年(明治6年)以降、鳴川町小学校訓導、大和国一大区一小区副戸長、奈良役所部内第一連合戸長などを務めた[3]。
1884年(明治17年)大阪府会議員に当選[2][3]。1887年(明治20年)大阪府から奈良県が独立し第1回奈良県会議員に当選[2][3]。1889年(明治22年)奈良町長に就任した[2][3]。ほか、奈良帝室博物館学芸委員を務めた[4][2]。
1890年(明治23年)に奈良県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から[5]1897年(明治30年)9月28日まで務めた[3]。1926年(大正15年)隠退した[4]。
本宅は奈良市登大路町にあったが[4][2]、同市山ノ上町の別邸で死去した[2]。興福寺の復興に尽くしたことから、告別式は同寺本坊で寺葬として執り行われた[2]。
親族
[編集]- 弟 嘉納治兵衛 (7代)(実業家)[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 乾健治『郷土歴史人物事典 奈良』第一法規出版、1991年。