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中溝昌弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中溝多摩吉から転送)
中溝昌弘
なかみぞ まさひろ
生年月日 1841年2月7日
出生地 日本の旗 日本 武蔵国北多摩郡上布田駅
(現・東京都調布市
没年月日 1927年
配偶者 中溝ブン
子女 長男・青木昌吉
親族 曾孫・鈴木俊一(東京都知事)

神奈川県の旗 第11代 神奈川県会議長
在任期間 1887年11月 - 1888年3月

神奈川県の旗 第9代 神奈川県会副議長
在任期間 1886年8月 - 1887年11月

神奈川県の旗 神奈川県会議員
選挙区 南多摩郡選挙区
当選回数 2回
在任期間 1885年11月 - 1888年1月
1888年2月 - 1889年12月

在任期間 1881年6月28日 - ?

在任期間 1878年11月18日 - 1881年6月28日
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中溝 昌弘(なかみぞ まさひろ、天保12年1月16日[1]1841年2月7日) - 昭和2年(1927年))は、明治時代の日本の地方政治家自由民権運動家。地主、三多摩壮士の一人[2]

来歴

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幕府御典医の白鳥昌領の次男として、北多摩郡上布田駅(現・東京都調布市)に生まれる[1]嘉永5年(1852年)、幕臣松平次郎太の門下生となった[1]。同6年(1853年)に昌平坂学問所の素読吟味試験に合格した[1]慶応2年(1866年)、中溝ブンと婿養子として結婚した[1]。この頃自宅で漢学塾を開く[1]

明治11年(1878年)に結成された「責善会」で石坂昌孝らと活動した[3]。同年、11月18日に都筑郡長に、明治14年(1881年)6月28日には南多摩郡長に就任した[1]。その後、明治18年(1885年)11月に南多摩郡選出の神奈川県会議員となる[4]。その間、明治19年(1886年)8月から明治20年(1887年)11月までは第9代副議長を、明治20年(1887年)11月から明治21年(1888年)3月までは第11代議長を務めた[5]。明治21年(1888年)1月の議会解散で退任するが、翌月の選挙で当選した[4]。明治22年(1889年)12月に議員を辞職した[4][6]。晩年は政界から引退し、1927年死去。86歳。

親族

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関連文献

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  • 『民権ブックス6 石阪昌孝とその同士たち』町田市、1993年[14]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 横浜緑区史 通史編』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ 三多摩壮士はなぜ生まれたのか~自由民権運動にみる多摩の DNA根東佑磨ほか、多摩大学経営情報学部 社会工学研究会 多摩学研究
  3. ^ 町田の民権家と結社”. www.city.machida.tokyo.jp. 2024年6月18日閲覧。
  4. ^ a b c 神奈川県会史 第1巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ 神奈川県. “神奈川県議会 県議会の歴史 歴代議長・副議長一覧”. 神奈川県. 2024年6月19日閲覧。
  6. ^ 神奈川県会史 第1巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年6月18日閲覧。
  8. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年6月18日閲覧。
  9. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年6月18日閲覧。
  10. ^ 『亀井貫一郎氏談話速記録』(日本近代史料研究会、1970年)33ページ
  11. ^ 『町田近代百年史: 增補「町田市の明治百年」』町田ジャーナル社, 1975、p60
  12. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年6月18日閲覧。
  13. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年6月18日閲覧。
  14. ^ 自由民権資料館の逐次刊行物4(『民権ブックス』1から15)”. www.city.machida.tokyo.jp. 2024年6月18日閲覧。