出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中薮 喜兵衛(なかやぶ きへえ、天明3年(1783年) - 天保14年(1843年)4月)は、江戸時代後期の一揆指導者[1]。
近江甲賀郡松尾村(現:滋賀県甲賀市水口町松尾)の庄屋[1]。
天保13年(1842年)、江戸幕府勘定方の市野茂三郎による検地増徴に反対し、野洲・甲賀・栗太3郡の農民約1万2000人が蜂起した近江天保一揆(甲賀一揆)を指導した一人である。藤田宗兵衛に最初に一揆を相談され、これに賛成して生死を共にしようと誓った[1]。検地は阻止されたが、同志の土川平兵衛らと共に捕えられ、江戸へ護送され獄死した[1]。