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中谷礼仁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中谷 礼仁(なかたに のりひと、1965年1月15日 - )は日本建築史家。歴史工学を提唱、生環境構築史を構築した研究者のひとり[要出典]早稲田大学教授[1]

来歴

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1965年東京都台東区三ノ輪に生まれる[2]

1987年早稲田大学理工学部建築学科を卒業[1]

1989年、早稲田大学理工学術院建築学専攻修了、博士課程に進学(後に満期退学)[1]。この頃、1970年代の日本の建築家を取り上げた「ウラガエル70年代」シンポジウムを早稲田大学建築史研究室で立ち上げて活動をおこなう[3]

1997年、早稲田大学理工学部助手となる[4]1998年博士(工学)を早稲田大学より取得[5]

2002年大阪市立大学大学院工学研究科講師に転じ、2006年に助教授に昇格する[1]

2007年、早稲田大学理工学術院准教授となり、2012年より教授に就任[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e My Profile(中谷礼仁 プロフィール)”. Nakatani Norihito's Blography (2011年6月7日). 2021年3月24日閲覧。
  2. ^ TOTO通信”. jp.toto.com. 2021年5月6日閲覧。
  3. ^ 南泰裕「KB NEWS from 8 to 9 時を超える建築の原理的問いのために シンポジウム『ウラガエル70年代』、TAUおよびその周辺をめぐって」『建築文化』1993年9月号(掲載誌についての外部リンク『ディテール』『建築文化』記事データース(ベータ版)”. kenchikubunka.com. 2021年3月24日閲覧。
  4. ^ 科研費データベース”. 国立情報学研究所. 2021年3月24日閲覧。
  5. ^ 中谷礼仁「幕末・明治期規矩術の展開過程の研究」早稲田大学 博士 (工学), 甲第1262号、1998年、NAID 500000157565