中野善弘
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個人情報 | ||||||||||||||||||
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生誕 | 1958年6月2日(66歳) | |||||||||||||||||
スポーツ | ||||||||||||||||||
競技 | 馬術 | |||||||||||||||||
種目 | 障害飛越競技 | |||||||||||||||||
成績・タイトル | ||||||||||||||||||
五輪 | 1984 ロサンゼルス 個人34位、団体11位 1988 ソウル 個人42位、団体記録13位 1996 アトランタ 個人59位、団体15位 | |||||||||||||||||
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中野 善弘(なかの よしひろ、1958年6月2日[1] - )は、日本の馬術選手、指導者。
経歴
[編集]1984年ロサンゼルスオリンピックから1996年アトランタオリンピックまで4大会連続でオリンピック馬術競技日本代表に選出されているが、1992年バルセロナオリンピックは乗馬の死亡のため辞退しており、代表としての出場は1988年ソウルオリンピックを含む3大会となる[2][3]。
1984年ロサンゼルスオリンピックの馬術競技(大障碍競技)では携行馬コールマンで臨み、団体成績は11位、個人成績は34位だった[4]。
1988年ソウルオリンピックの馬術競技(大障碍競技)では携行馬エルルーテで臨み、個人成績は42位、団体成績は13位(失権)で決勝進出を逃した[4][5]。
1996年アトランタオリンピックの馬術競技(大障碍馬術)では携行馬シザールドゥジャレンヌで臨み、団体成績は15位、個人成績は59位だった[4]。
2000年シドニーオリンピックでは馬術代表の監督を務めた[3][6]。2014年南京ユースオリンピックでも監督を務めている[3]。
アジア競技大会では、1986年ソウルと1994年広島の2大会で日本代表として団体で優勝している[7]。
2019年時点では乗馬クラブクレイン千葉富津の所長[8]。
出典
[編集]- ^ “中野 善弘 (馬術) - 第17回アジア競技大会(2014/仁川) - JOC”. 日本オリンピック委員会(JOC). 2022年6月29日閲覧。
- ^ “尽きない馬への感謝と五輪での悔しさ 62歳で東京五輪狙う障害馬術・中野善弘 - スポーツナビ”. スポーツナビ. ヤフー. p. 1 (2015年10月23日). 2022年6月29日閲覧。
- ^ a b c “尽きない馬への感謝と五輪での悔しさ 62歳で東京五輪狙う障害馬術・中野善弘 - スポーツナビ”. スポーツナビ. ヤフー. p. 2 (2015年10月23日). 2022年6月29日閲覧。
- ^ a b c 池田收「オリンピック馬術競技における日本人選手と携行馬の活動概要―1968年メキシコ大会から2016年リオデジャネイロ大会まで―」『Hippophile』第80巻、日本ウマ科学会、10-24頁。
- ^ 「第24回オリンピック競技大会(1988/ソウル)馬術」日本オリンピック委員会。2024年8月12日閲覧。
- ^ “シドニーオリンピック2000 馬術 日本代表選手団”. 日本オリンピック委員会. 2022年6月29日閲覧。
- ^ “障害馬術の第一人者が語る「結果を出せる人」とは?”. THE 21 ONLINE. PHP研究所 (2016年8月14日). 2022年6月29日閲覧。
- ^ “レジェンドは今なお健在! 中野善弘&CRNベガス号(乗馬クラブクレイン千葉富津)が大障害飛越競技B決勝を制覇/全日本障害馬術大会2019 PartⅠ | SHOWJUMPING JOURNAL”. SHOWJUMPING JOURNAL (2019年11月17日). 2022年6月29日閲覧。
外部リンク
[編集]- Yoshihiro Nakano(10053932) - 国際馬術連盟
- Yoshihiro NAKANO - Olympics.com
- 中野 善弘 - 日本馬術連盟