中野太三郎
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中野 太三郎(なかの たさぶろう、1880年(明治13年)12月 - 1941年(昭和16年)11月10日[1])は、朝鮮総督府官僚、実業家。玄洋社員[1]。
経歴
[編集]福岡県出身。1899年福岡県中学修猷館[2]、1902年第五高等学校法科[3]を経て、1906年(明治39年)に東京帝国大学法科大学政治学科[4]を卒業。1908年(明治41年)に統監府属となり、翌年に高等文官試験に合格した。理事庁副理事官、朝鮮総督府事務官、大邱府尹、平安南道第三部長、咸鏡北道知事、咸鏡南道知事などを歴任した。
1929年(昭和4年)に退官した後は、東洋拓殖株式会社理事、朝鮮電気興業株式会社取締役、東洋産金株式会社取締役などを務めた。
親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第12版(下)』人事興信所、1939年。
- 石瀧豊美『玄洋社・封印された実像』海鳥社、2010年。