中野暢
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中野 暢(1904年〈明治37年〉3月11日[1][2] - 没年不明[2])は、昭和時代の政治家。山口県小野田市長。
経歴
[編集]山口県阿武郡に生まれる[3]。1922年(大正11年)小郡農業学校卒業[3]。豊浦郡産業主事補、同農林主事補、山口県属経済部調整課長などを経て、1941年(昭和16年)地方事務官となり山口県地方課長に任じた[3]。同年10月に退官したのち1942年(昭和17年)11月に小野田市助役に就任した[3]。
1946年(昭和21年)1月、小野田市長に就任[1]。本山、焼野に保育園を設立、市体育協会発足、小野田市是の制定、高千帆、小野田各新制中学校の開校などに尽力した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c 歴代知事編纂会 1983, 207頁.
- ^ a b 日外アソシエーツ 2022, 353頁.
- ^ a b c d 帝国秘密探偵社 1943, 山口16頁.
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年 。
- 歴代知事編纂会 編集『日本の歴代市長 : 市制施行百年の歩み』 第3、歴代知事編纂会、1983年。
- 日外アソシエーツ 編集『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。ISBN 4816929304。