中野重美
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中野 重美(なかの しげみ、1909年(明治42年)10月5日 - 1991年(平成3年)8月9日[1])は、広島県広島市出身の実業家。中国電力副社長、中国電気工事(中電工)社長、広島商工会議所会頭などを務めた。
経歴
[編集]1909年広島市に生まれる。旧制修道中学校(現:修道中学校・高等学校)[2]、旧制第六高等学校を経て、京都帝国大学法学部を卒業。京都大学時代に第10回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選出された[3](就職の都合上辞退)。1934年広島市役所に入庁。1936年広島電機(現:中国電力)に入社。同社営業部長、労務部長、理事、常務取締役を経て副社長に就任。1975年中国電気工事(現:中電工)に移り代表取締役社長に就任。1982年会長になる。その間、広島総合警備保障、広島ホームテレビの取締役、広島商工会議所会頭、広島経済同友会顧問など多くの公職を歴任した[4]。